北朝鮮、36年ぶりの党大会開催を決めた理由 金第1書記は経済運営に自信を深めている

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金総書記もまた、1984年2月に開かれた党中央委員会責任幹部協議会で演説した中で、「首領様(金日成主席)は最近でも、党中央委員会政治局会議をはじめとするいくつかの会議で、人民生活を一段高め、党第7回大会を行うべきだと教示されました。人民生活を一段階さらに高め、党第7回大会を開こうとすることは、われわれ党の確固たる決心です」と述べている。また、金総書記は2000年に初の南北首脳会談を行った際、韓国の故・金大中大統領に「(2000年の)秋頃の開催を考えている」と述べている。

だが、第6回大会以降、最高機関となる党大会を円満に開くことができる状況ではなかった。1978年から始まった第2次7カ年計画(~84年)は実質的に未達成に終わった。85~86年の調整期を経て、87年からは第3次7カ年計画(~93年)が始まったが、これも「朝鮮経済は発展の速度と均衡を失った」「本来計画した通りに遂行できなかった」と北朝鮮当局自ら失敗を認めるほどの状況に陥る。

その後、1994年から96年まで設定した緩衝期には、洪水など大規模な自然災害にも襲われる一方、90年を前後したソ連・東欧圏の崩壊の影響も日増しに大きくなった。結局、餓死者が出るほどの食糧難をはじめ、「苦難の行軍」と呼ぶ深刻な経済難にあえぐことになる。

1999、2000年ごろにようやく経済成長がプラスに向き始め、党大会を開催する条件が整いつつあったが、2000年の南北首脳会談をはじめ、米朝対話などの国際的環境への対処に重きが置かれ、党大会といった国内の主要問題は後回しにされていた。

そして2009年に現在の金正恩第1書記が後継者として現れ始め、2012年に本格的に政権を担うようになると同時に、経済状況も改善しはじめた。韓国・国民大学の鄭昌鉉(チョン・チャンヒョン)教授は、「経済建設において目に見えるような成果が出て、かつ米国との関係を中心に対外環境が自国にとってよい方向に改善したと判断されれば党大会が開けると金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は考えていたはずだ」と説明する。

政治の非常体制から正常体制へ移行か

金第1書記はこれまで、父親が「非常体制」と考え実行してきた「先軍政治」から軌道修正を試みてきた。すなわち、軍から党への権力移行だ。ある中国の北朝鮮専門家は「軍における経済部門を内閣に移行させてきたことなど、先軍政治から実質的な政治パワーを労働党に移してきたことは間違いない」と指摘する。そのため、第7回党大会が開催されれば、「軍から党へと、本来の北朝鮮の社会主義体制への移行にメドがつく」(前出の北朝鮮専門家)。

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