全国中学校体育大会が2027年から規模縮小【9競技削減】へ──交錯する中体連と競技連盟の思惑の中で見直し進む、<中学生の「日本一」の価値>
──教員不足との関連もあるのでしょうか。
少子化になれば大人の負担は減りそうなものですが、実は生徒の部活動加入率や活動日数、教員の部活動の指導時間は1990〜2000年代でむしろ増加しました。一方で、子どもの教育機会を確保するために学校の統廃合は慎重に行われますから、少子化であっても学校が残り続ける以上、部活動も存在し続けるのです。
その点、教員数については少子化の影響がダイレクトに反映されました。「子どもの数が減れば教員の数は減らしてよい」と考えられたわけです。近年は教育課題が増えているという認識から、教員を増やす方向に転換されましたが、教員一人ひとりのタスクは複雑で、部活動に従事したり大会運営に関わったりする余裕がなくなっているのはたしかです。
中学生にとって「日本一」にどれだけの価値がある?
──今後、全中大会は全廃の方向に進むと思いますか?
全中大会を残すために、今回泣く泣く9競技を外したのですから、全廃にはしないのではないでしょうか。ただ、「全中大会が必要だ」と主張できる根拠を見つけるのは、実は難しいのです。
先ほども触れましたが、戦後の文部省は、費用もかかるし移動の負担もあるし、学業との両立も大変なので、中学校の全国大会を禁止していました。戦前からの流れを汲んで甲子園(高校野球の全国大会)こそ行われていましたが、中学生には必要ないというコンセンサスがあったのです。
しかし、地区大会や都道府県大会はありましたし、前述の通り各競技団体が全国大会を実施するようになったため、それを引き取る形で全中大会が始まりました。この経緯からわかるように、全中大会はもともと、中体連が必要性を感じて立ち上げたものではないわけです。
とはいえ、中体連も全中大会を嫌々実施してきたわけではありません。ただ、なぜ中学生の日本一を決める大会が必要なのか、なぜ20競技もの大会の運営コストを全員で負わなければいけないのか。「今までやってきたからやりましょう」ではなく、その議論は必要です。
──中澤先生は、全中大会の必要性をどうお感じですか? 子どもたちのモチベーションにも関係するのでしょうか。
私個人の意見では、かならずしも必要だとは思いません。そもそも部活動の教育的意義は、生徒が「自分たちのやりたいことを自分たちでやる」ということ。しかし、全中大会は当然ながら、中学生だけでは運営できていません。子どもたちのために、社会がこれほどまで大きなリソースを割くべきなのかは、問われて然るべきだと思います。
また、中学生にとって全中大会で得る「日本一」の称号がどれほど価値を持つのかという観点もあります。高校生であれば、自分の将来を考えたり地元を離れたりなど、大きな視野で社会を捉え始めるころですから、「日本」というスケールにも十分意味があるでしょう。
一方で中学生のうちは、自分の生活圏を大きく越えた「日本一」は、単なる記号にすぎないかもしれません。しかも極端な話、地区大会の段階で半数以上の部活動が敗退してしまうわけです。ほとんどの中学生にとって、全中大会は無縁なイベントでもあります。その点、地区大会にはみんなが参加しますから、学校や家族でも話題に上がるでしょう。こういうところにこそ、実質的な価値があるのではないでしょうか。「日本一」という記号にモチベートされるのは、大人だけなのかもしれません。
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