海老名駅から歩くこと約15分。駅前のショッピングモールや映画館を抜け厚木街道を曲がると、色濃い緑の中に海老名中学校が見えてくる。教諭で吹奏楽顧問を務める上髙原氏は、「時間を何度も調整いただいてすみません」と物腰柔らかな様子で出迎えてくれた。

上髙原氏が顧問を務める海老名中学校吹奏楽部は、コロナ禍で中止となった翌年、2021年の吹奏楽コンクール中学校A部門で全国大会に出場。2022年、2023年はいずれも東関東大会で金賞と、いわゆる“強豪校”の活躍を見せている。

「コロナ禍で部活動の練習時間が制限され、千葉の強豪校と練習量がそろった」ことも全国大会に出場できた理由の1つであると、上髙原氏は冷静に分析する。千葉県には吹奏楽の強豪校が多く、全国大会の東関東支部枠がすべて千葉の学校で埋まることも珍しくない。

「千葉は小学校のクラブ活動も盛んで、小さい頃から楽器に触れている子どもが多いので、なかなか追いつかないという気持ちがありました。ただ、感染防止のために短時間練習となり、また前年のコンクールは中止になっていたので、スタートラインがそろったのかもしれない、こういう時にチャンスがあったりするよと生徒に話していました」

上髙原拓也(かみたかはら・たくや)
海老名市立海老名中学校 教諭

練習時間が少なくなったのは、コロナ禍だけが要因ではない。2018年に文化庁から発表された「文化部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」(以下、部活動ガイドライン)では、「学期中は週当たり2日以上の休養日を設ける」「1日の活動時間は、長くとも平日2時間、休日3時間まで」などの指針が示されている。

昨今の部活動の練習状況について、「コロナ禍における練習時間の制限のほうが、部活動ガイドラインよりもさらに厳しかったですね。そのため、ガイドラインの基準がスムーズに受け入れられたのでは」と考察する上髙原氏。基本的には部活動ガイドラインや市の方針に沿って練習を行っているが、他校との合同練習を実施する際や演奏会・コンクールの2週間前からは例外的に1日練習が認められることもあるという。

「牛丼バイト」と掛け持ちで続けた、月収2万の外部指導員時代

もともとは調理師専門学校に通い、料亭で修業したこともあったという上髙原氏。ただ「部活のために学校に通っていた」というほど学生時代に吹奏楽にのめり込んだ経験から、音楽の道に再び挑戦。音楽系の専門学校に入り直し、吹奏楽の指導と演奏の勉強をしながら、県の嘱託指導員として有馬高校やそのほかの学校の吹奏楽部の指導にも関わるようになった。

当時、県の嘱託指導員は週2回の契約で、1校当たり月収約2万円。「日中は指導員、深夜は牛丼屋のアルバイトに入る生活」でなんとか食いつないでいたという。

「嘱託指導員は比較的練習時間の長い土曜日と日曜日が稼ぎどきになるので、それぞれ午前と午後のブロックに分けて4校ほど指導に行っていました。

一方で、牛丼バイトのほうは週末に人手が足りなくなるのか、金曜の夜に入ってくれと言われることが多くて。土曜の朝まで働いて、上がったら大至急で学校に向かったこともありました。もちろんその後、金曜のバイトシフトは断るようになりましたが……」

そのような綱渡りの生活でも、生徒指導に対する熱は冷めることがなかったのだろう。指導校の1つであった海老名市立有馬中学校吹奏楽部では、上髙原氏が指揮を担当した2001年から2014年の間、吹奏楽コンクールでほぼ毎年県大会を突破し、東関東大会への出場を果たしている。

とはいえ、約10年もそのような生活を続けられたのはなぜなのか。「純粋に楽しく、やりがいを感じていたことが大きいです。生徒にとっても意味のある時間にできているという手応えがありました。途中から教員を目指すようになったこともあります」。

取材中の海老名中学校吹奏楽部の練習風景

教師を目指すきっかけとなった「生徒同士のふとした会話」

その後、外部指導員から教員を目指したのは、もちろん収入面の安定もあるが、「信頼関係の構築」が大きかったという。外部指導員として有馬中学校の指導に入っていた当時、上髙原氏は主に指揮者として音楽指導を担当し、顧問をしていたベテランの女性教師が、生徒の生活指導や保護者への対応などを担っていた。

「当時は若かったこともあり、自分が指導を一手に引き受けているつもりになっていましたが、生徒の気持ちのフォローなど、いちばん大変な部分を顧問の先生がやってくださっていて。自分はお膳立てしてもらったところで指導していたんですね。

指揮も演奏も、素人同士で音楽を作り上げるうえでは、信頼関係で埋めるものが随分あると感じています。それを埋めた時に、技術的に拙い部分があっても人の心に届くような演奏ができるのかなと。だからこそ、教員になって授業での様子や生活全般も含めて、生徒を見てみたいなと思うようになりました」

外部指導員時代、生徒同士のふとした会話や様子を見聞きしたこともきっかけになった。

「生徒が、先生のことを『〇〇T(ティーチャーの略)が』といって楽しそうに話しているんです。大会に応援に来てくれた先生を見て大はしゃぎしたり。少し嫉妬するではないですが、会話の中に先生への信頼や親しみがにじみ出ていて、自分もそうした関係性を築きたいと考えるようになりました」

一念発起して教員免許を取得、2008年に音楽教諭として有馬中学校に赴任した。

教師になって17年目、「今は蒔いたタネの収穫期」

教員の仕事は忙しい。実際に取材時も、「会議が何個も重なって……」と慌ただしい中、時間を割いてくれた。多忙な中でも、どんな部分にやりがいを見いだしているのだろうか。

「これは年数を重ねないとできない経験ではありますが、中学で見ていた生徒がどんな大人になるかを知れるのはうれしいですね。卒業生が、大人になってから自分の子どもを連れて顔を見せに来てくれたり、中学生の頃を振り返って今だからできる話をしてくれたり」

部活動だけでなく「授業での様子や生活全般も含めて、生徒を見てみたい」という思いで行動してきた結果が、このような形で結実しているのだろう。実際に上髙原氏は、部活動だけでなく授業においても、生徒の自主性を育むような研究や実践を続けている。
※2020年度 文部科学省 神奈川県優秀授業実践者

「例えば歌唱の授業では、生徒に対して、強弱の表現について『やったつもり』ではなく、『聞き手に伝わったかどうか』で評価するよ、という話をしています。自分の主観でなくて、相手ならどう受け取るかの客観を、生徒が自主的に考えて行動する場にしたいと考えています。

一方で、取り組みの期間やゴール、行き先について、生徒がより裁量を持ちやすい場が部活動であると考えていますので、部活動指導においてもそうした環境づくりを意識しています」

話し合いながら自主的に練習に取り組む様子が印象的だ

とはいえ、本業に加えて部活動指導を行う負担は大きい。さらに公立の教育職員の場合、部活動指導等に支払われる報酬は少ないことが指摘されている。苦労に対して対価が見合わないと、感じることはないのだろうか。

「吹奏楽はいろんな楽器のノウハウや関係者とのつながりなど、ある程度わかる状態になるまでに経験で埋まるものが多いので、最初の数年は本当に大変です。

若手はとくに、本業の方でも体育祭の実行委員など、実働が多い仕事をふられやすい。それでいて給与体系は基本的に年功序列の昇給カーブ。そんな中で保護者からの期待など、さまざまなプレッシャーを受けやすいのもまた若手です。

私は今、蒔いたタネの収穫期にいますが、始めて間もない若い先生が苦しい立場に置かれやすいのは間違いありません」

ただし、と付け加える。

「限られた時間の中でも、子どもたちといろんなやりとりをして、ものを生み出したり記憶に残る影響を与えたりするようなやりがいを経験してもらいたいです」

だからこそ、教員をとりまくさまざまな制度や環境の改善が求められているのだろう。

続く後編(部活動の地域移行は誰のための改革?元部活動指導員の吹部顧問が語る現状)では、海老名市の「新たな部活動の在り方検討委員会」委員でもある上髙原氏に、教員の人手不足や働き方改革で進む部活動の地域移行の現状、今後の地域移行で外部指導員と教員が生徒の成長のためにどのように協働できるか、両者にとって望ましい仕組みや制度は何かについて話を聞いていく。教員の兼職兼業など報酬面も含め、多くの教師や指導員が納得できる形を、模索したい。

(企画・文:吉田明日香、写真:すべて編集部撮影)