怒りを我慢する人が陥る「自分を見失うリスク」。ネガティブな感情は表に出してはいけないと考える「いい人」ほど人生が苦しくなる理由

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

感情だけでなく、身体の感覚も必要があって生まれてきたものです。快・不快、居心地の良し悪しなどの感覚は、その環境や状況が自分にとってどうなのかを教えてくれます。また、言葉にならない違和感が「この人、嘘をついてるな」「おべっかを使ってるんじゃないか」と教えてくれることもあります。

自分が感じる感情や感覚はすべて必要があって生まれたものです。「私の中にうれしさがあるなぁ」「私の中に怒りがあるなぁ」「私の中にイライラがあるなぁ」と気づいて、認めていくことが、自分を大切にする最初の一歩です。

ネガティブな感情もOKにする

実は「快」の感覚よりも、「不快」の感覚のほうが気づきやすいものです。自分の好きなことはよくわからないけれど、自分の嫌いなことはわかる、という人も多いでしょう。自分の「不快」「やりたくないこと」に気づければ、それらを避けながら生きていくこともできます。「これだけは絶対に嫌だ」と思うものを選ばない生き方も、自分を大切にした生き方です。ネガティブな感情や感覚も、自分らしく生きるための大きな原動力になるのです。

私たちは子どもの頃から「人を悪く言ってはいけません」「人を嫌ってはいけません」「みんなと仲良くしましょう」と教えられてきますが、これは本当に良くないと思います。嫌な気持ちを抑え込むと、自分の気持ちに気づきにくくなり、自分のことがわからなくなります。

そもそも、自分にとって意味のない人に対して感情が動くことはありません。「あの人、嫌い」「あの人、苦手」と感情が動くのは、自分にとって重要なことを知らせてくれているサインなのです。

補足ですが、ネガティブな感情を大切にすると言っても、自分が「嫌いだな」と感じる人に「あなたのことが嫌い」とわざわざ伝えたり、「嫌いだ」という気持ちを態度や行動で示したりすることはおススメしません。社会で生きる私たちは、感情のままに行動することが難しいことのほうが多いでしょう。

こんな時は、感情と行動をセットにせずに、分けて考えます。一般的に、理性は感情を抑えるために使われますが、感情を無視したり抑えたりしていると、どんどん自分が分からなくなっていきます。理性は、自分のネガティブな感情に気づいて大切にしながら、どのように社会の中で折り合いをつけて生きていくか、ということを実現するために使っていきましょう。

次ページ怒りを抑え込む副作用
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事