広島電鉄、もう1つの被爆電車「8月9日」運行の意義 同社最古の「156号」が5年ぶりに本線を走った

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「市民の皆さまからの『早く電車を走らせてほしい』『電車が走っているのを見て勇気が出た』という声に、私たちの先輩方も大きな力をもらったようです」と、広電の広報担当者は話す。広電は原爆投下の1カ月後に襲来した枕崎台風でも被災し、全線がほぼ復旧するまでに2年を要した。

昭和30年代後半からは自動車の激増を受けて渋滞に巻き込まれるように。定時運行が困難となり、乗客が大幅に減少したことで存亡の危機に立たされる。

そんな状況下でも、広電は路面電車を走らせ続けるために奮闘した。路面電車の必要性を説いて回り、一時は許可された軌道内への自動車の進入が再び禁止に。渋滞に巻き込まれることも減った。

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路面電車の存続に成功

さらに、路面電車が廃止された他都市から大型のワンマンカーを譲り受け、輸送の効率化や合理化を推進。事業の多角化なども功を奏し、路面電車の存続に成功した。被爆という絶望的な状況から立ち上がり、その後も何度となく訪れた危機を乗り越えた、その原動力は市民からの温かい声だったのである。

元京都市電の1900形。2024年7月には全15両を並べた撮影会が開かれた(撮影:伊原薫)
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