「銀座アスター」はなぜ100年も愛され続けてきたのか? "食のエルメス"を目指す老舗の秘密
最近起きた出来事の中では、なんといっても厳しかったのがコロナ禍だ。何店も店を閉めたが、従業員の生活は守らなければならない。幸い無借金経営だったため、従業員の給料に困るようなことはなかった。
ほかにも、中国での餃子の異物混入事件など、何の関係もないことが風評被害としてダメージを及ぼしたり、外食産業というのは本当にいろいろな要因が絡んで業況が左右される。「私は『障害物競走』と呼んでいるのですが、何かが終われば必ずまた次の問題が生じてくる。それを1つずつクリアし、何とか100年を乗り越えてきた思いです」(郁氏)。
現在の大きな問題は、人口減少・少子化による働き手不足である。どこの飲食店も頭を痛めている問題だが、これだけはどうにもならない。銀座アスターでも、量より質への転換を迫られてきた。
現在は、銀座本店を含む高級店、百貨店の中の老舗という位置づけのテナント店、地方都市のそれぞれのニーズを満たす店という3本柱で営業しているという。高級店はそれぞれの個性を生かし、メニューも必ずしも同じではない。昭和の頃の「右へ倣え」とは逆の考え方のようであるが、飲食店の数や幅も利用客のニーズも比べようもないほど多様化している今、それが最善の方法なのだろう。
「食におけるエルメスやルイ・ヴィトンに」
店舗数が最多だった昭和47(1972)年がレストラン43店舗・デリカショップ61店舗だったのに比して、現在はレストラン33店舗・デリカショップ13店舗にまで絞り込んだ。その代わり、質には飛び切りこだわって高級化を図っている。
「社長に就任したときに心に誓ったのは“永遠のブランド”を作りたいということでした。食におけるエルメスやルイ・ヴィトンのように。もちろんまだまだですが、価値のあるものとして残れるのかどうかは、その時代その時代でアップデートしながら進んでいくしかありません。そのためには、やるに値することを、やりたいと思ってくれる人たちと一緒に、愚直に粛々とやっていく。それしかないと思っています」
きっぱりとそう言った郁氏に、1世紀にわたって愛され続けてきた銀座アスターの強靭さの原点を垣間見た気がした。
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