4年間「不登校ゼロ」!校長が大切にした4つのポイントや実践に学ぶ「安心して通える学校づくり」 就学時健診に着目した「科学的アプローチ」も

通常学級にも「困難さを抱える子ども」が在籍する現実に直面
「板倉先生は“100歩先行く校長先生”です」と語るのは、熊谷市立富士見中学校通級指導教室教諭の三富貴子氏だ。若手の頃から複数の学校で板倉伸夫氏と教育活動を共にしてきた三富氏は、こう話す。
「板倉先生は子どもを見るまなざしが本当に温かく、いつも自然と子どもが集まってくるんです。本校の教頭だったときは、毎朝どんなに忙しくても、支援が必要な生徒が登校できているかを必ず確認しに来てくれました。教員に対してもSOSを出す前に気づいて手を差し伸べ、トラブルが起こっても『大丈夫、大丈夫』と寄り添ってくれる。地域の学校で特別支援教育のバックグラウンドを持つ管理職は少数派ですが、特別支援の専門家が学校をマネジメントすると、学校は安定すると感じます」(三富氏)
埼玉県で採用され、養護学校(現・特別支援学校)からキャリアをスタートした板倉氏。元同僚から絶大な信頼を得ている板倉氏だが、新人の頃は「こんなに自分は頑張って教材研究をしているのに、なぜ子どもは成長しないんだろう」と思うことも多かったそうだ。
しかし、先輩教員から子どもたちとの関わり方やスキルを教えてもらいながら試行錯誤を続ける中、「待つこと」の重要性を学んだという。

「待つことができるようになると、子どもたちが自発的にいろいろなことができるようになっていきました。教員は親切心からすぐに介入してしまいがちですが、教員の仕事はタイミングを計ることなんですよね。エラーが起こるときはどういうときなのか冷静に分析し、適切に主体性を発揮する機会を与えていく。そうした『待つ』スキルは、特別支援に限らず通常学級でも、教員が身に付けるべき上位スキルだと思っています」(板倉氏)
養護学校で8年間経験を積み、熊谷市立富士見中学校に異動して特別支援学級の担任となった板倉氏。当時の校長は特別支援教育の経験はなかったそうだが、毎日板倉氏の教室を訪れては「これからは1人ひとりを見る時代になる。特別支援教育は絶対に教育の中心になるから、頑張れよ」と励ましてくれたという。
その言葉を支えに指導を続ける中、特別支援教育が制度化されるという大きな節目を迎える。実施が始まった2007年、在籍校が文科省指定研究開発学校として研究委嘱を受け、特別支援教室構想に取り組むことになり、板倉氏は初代の特別支援教育コーディネーターを担当することになった。
「学校全体を見て通常学級の生徒や先生たちともコミュニケーションを取るようになり、通常学級にも困難さを抱える子どもが数多く在籍している現実を目の当たりにしました。当時は今よりも一律の指導が当たり前だったこともあり、先生のバイアスを取り除き、特別支援教育を浸透させていくのは大変でしたが、一斉授業の改善や学びに困難さのある子のフォローなどに取り組みました」(板倉氏)