通常学級にも「困難さを抱える子ども」が在籍する現実に直面
「板倉先生は“100歩先行く校長先生”です」と語るのは、熊谷市立富士見中学校通級指導教室教諭の三富貴子氏だ。若手の頃から複数の学校で板倉伸夫氏と教育活動を共にしてきた三富氏は、こう話す。
「板倉先生は子どもを見るまなざしが本当に温かく、いつも自然と子どもが集まってくるんです。本校の教頭だったときは、毎朝どんなに忙しくても、支援が必要な生徒が登校できているかを必ず確認しに来てくれました。教員に対してもSOSを出す前に気づいて手を差し伸べ、トラブルが起こっても『大丈夫、大丈夫』と寄り添ってくれる。地域の学校で特別支援教育のバックグラウンドを持つ管理職は少数派ですが、特別支援の専門家が学校をマネジメントすると、学校は安定すると感じます」(三富氏)
埼玉県で採用され、養護学校(現・特別支援学校)からキャリアをスタートした板倉氏。元同僚から絶大な信頼を得ている板倉氏だが、新人の頃は「こんなに自分は頑張って教材研究をしているのに、なぜ子どもは成長しないんだろう」と思うことも多かったそうだ。
しかし、先輩教員から子どもたちとの関わり方やスキルを教えてもらいながら試行錯誤を続ける中、「待つこと」の重要性を学んだという。

「待つことができるようになると、子どもたちが自発的にいろいろなことができるようになっていきました。教員は親切心からすぐに介入してしまいがちですが、教員の仕事はタイミングを計ることなんですよね。エラーが起こるときはどういうときなのか冷静に分析し、適切に主体性を発揮する機会を与えていく。そうした『待つ』スキルは、特別支援に限らず通常学級でも、教員が身に付けるべき上位スキルだと思っています」(板倉氏)
養護学校で8年間経験を積み、熊谷市立富士見中学校に異動して特別支援学級の担任となった板倉氏。当時の校長は特別支援教育の経験はなかったそうだが、毎日板倉氏の教室を訪れては「これからは1人ひとりを見る時代になる。特別支援教育は絶対に教育の中心になるから、頑張れよ」と励ましてくれたという。
その言葉を支えに指導を続ける中、特別支援教育が制度化されるという大きな節目を迎える。実施が始まった2007年、在籍校が文科省指定研究開発学校として研究委嘱を受け、特別支援教室構想に取り組むことになり、板倉氏は初代の特別支援教育コーディネーターを担当することになった。
「学校全体を見て通常学級の生徒や先生たちともコミュニケーションを取るようになり、通常学級にも困難さを抱える子どもが数多く在籍している現実を目の当たりにしました。当時は今よりも一律の指導が当たり前だったこともあり、先生のバイアスを取り除き、特別支援教育を浸透させていくのは大変でしたが、一斉授業の改善や学びに困難さのある子のフォローなどに取り組みました」(板倉氏)
不登校への対応に尽力することになったのも、この時期だ。しかし、今思い返すと反省もあるという。
「当時は、まず保健室登校を1週間、次はクラスで朝1時間だけ過ごすなど、スモールステップで登校支援を進めていました。でも、それは本人の背景や気持ちを十分に考えず、学校側が一方的に提案するやり方です。結果として生徒のエネルギーは枯渇し、長期欠席になってしまった子も。子どもたちに申し訳ないことをしてしまったと思っています」(板倉氏)
「まるで通級指導教室」、校長室を子どもたちに開放
こうしたさまざまな経験や思いが、のちの校長としての実践へつながっていく。教育委員会指導主事や中学校の教頭職などを経て、校長として赴任した熊谷市立小学校では、複雑な家庭環境にあるなど対応が難しいケースもある中、1人ひとりの子どもを大切にする学校経営に注力した。その結果、在任中の4年間、“新規の不登校はゼロ”だった。
板倉氏が同校で取り組んだ不登校対策のポイントは4つ。保護者の理解も得たうえで、子どもたちが「信頼できる人と学べる」「安心できる場所で学べる」「自分が楽しめる学習内容を自分で決められる」「登校や下校のタイミングは自分で決められる」ことを尊重した。
その象徴となる場の1つが、校長室だった。板倉氏は、校長室に知育玩具などを並べて常時開放し、教室で過ごすのがつらい子、学校を休みがちな子など、すべての子どもたちが自由に安心して過ごせる環境を整えた。この場を訪問したことがあるという元同僚の三富氏は、「校長室がまるで通級指導教室のようだった」と話す。

不登校の定義には当てはまらないものの、登校を渋り始める子どもは3人いたが、「午前中なら行けそう」「視線が気になるから、カーテンでスペースを仕切ってほしい」など個々の思いにできるだけ応え、認知特性に応じた支援も行いながら見守った。「そろそろ教室に戻ろうか」とは決して言わなかった。
そのうち2人はそれぞれのタイミングで再び毎日登校するようになった。もう1人は板倉氏の在任中に教室復帰に至らなかったが、後日、離任式の際にその子が手紙を手渡してくれたという。そこには「ありがとうございました きょうしつに いけるようになりました」と綴られていた。
「この子の中では、『進級したら教室に行く』と決めていたのかもしれません。登校を渋る背景は本当にケース・バイ・ケースですが、共通の支援としては『本人の意思を尊重すること』がコアになると思います」(板倉氏)
生徒指導のカギは、「指導」ではなく「励まし」
子どもが安心して過ごせる環境をつくるには、教員の関わり方も重要になる。
あるとき同校で、高学年の児童が板倉氏の頭髪を揶揄してきたことがあった。多くの校長は「人の身体的特徴をからかうのはよくない」と諭すだろう。しかし板倉氏は「じゃあ君の髪、分けてくれよ」とユーモアで返した。数日後、その児童が校長室に姿を現した。しばらく黙々と学習した後、ぽつりと「実は、将来が心配なんだよね」と打ち明けてくれたという。
「その子はきっと、私を『今まで出会った教師と違う』と感じてくれたのでしょう。パズルに例えるなら、子どもの満たされない1ピースをいかに見つけてそっと置いてあげることができるかどうか。そこが不登校に限らず、生徒指導のカギになると考えています。そのためには、子どもが『指導されている』ではなく『励まされている』と感じられるような関わりが大切だと思います」(板倉氏)
板倉氏は、1人ひとりを尊重するというメッセージを繰り返し伝えることも心がけてきた。
「例えばエアコンの風が直撃して寒がっている子には、当然上着を許可しますよね。合理的配慮も同じで、必要な調整を行うだけのこと。手すりの設置など特定の子どもへの配慮を疑問に思う子がいれば、『校長先生にはメガネが必要だし、あの子には手すりが必要。あなたは今手すりがいらないけれど、もし何か必要なことが生じたら先生は協力します。みんなも分かってくれるよ』と繰り返し伝えます。こうしたメッセージが子どもたちに浸透していくと心理的安全性が高まり、先生たちも多様な見方ができるようになると感じています」(板倉氏)

板倉氏はまた、同校で持久走大会のあり方も見直した。順位を競う形式から、個人のタイムを計測して伸びを讃える形式に変更したのだ。一部の保護者からは意見が寄せられたが、板倉氏は「多くの子どもたちが喜びを分かち合える大会にしたい」と粘り強く説明。「当日は、たくさんの応援をいただいた」(板倉氏)という。
保護者への丁寧な説明は行事に限らない。日常的な対応を重ねた結果、同校では17時以降の保護者からの電話はなく、教員も17時半にはほぼ全員退勤するなど退勤時刻も大幅に早まった。
「教職員が私の考えや思い、子どもの願いを大切に実践してくれた結果です。子ども1人ひとりを大切にするという本質的な仕事は、教員の働き方改革にも直結するのではないでしょうか」と板倉氏は話す。
低学年は「不登校予防の最前線」、集団式知能検査の活用も
板倉氏は「不登校は、子どもがかなり厳しい状態にあるサイン」と指摘する。学校や学級で統一ルールをつくり徹底するなどの画一的な指導は、不登校を誘発する可能性があると警鐘を鳴らす。
「とくに現代は、直接的な虐待に限らず、塾や習い事で予定を埋められてしまうような教育マルトリートメントに苦しむ子も多く、1人ひとりの承認欲求を満たしてあげるような学級経営が大切だと思います」(板倉氏)

熊谷市立妻沼小学校校長
1965年生まれ。埼玉県立本庄養護学校(現・埼玉県立本庄特別支援学校)、埼玉大学教育学部附属養護学校(現・埼玉大学教育学部附属特別支援学校)を経て、熊谷市立富士見中学校と熊谷市立江南中学校で特別支援学級の担任を務める。2012年度から6年間、熊谷市教育委員会指導主事として就学相談、特別支援教育を担当。その後、教頭として熊谷市立富士見中学校、校長として熊谷市立市田小学校、熊谷市立妻沼小学校に勤務。現行の「特別支援学校要領・学習指導要領解説 自立活動編」を編集協力
※イラストは児童が描いてくれたもの
夏休み明けは、全国的に不登校が増える時期だ。教育現場ではどのような備えが必要だろうか。板倉氏は「本来、不登校対策は年度当初から始まっているべきもの」と前置きしたうえで、こう提案する。
「秋は、運動会や音楽会などの学校行事が多い季節。夏休み前に頑張った子ども、例えば不安を伝えられなかった子どもが厳しい練習等で『心のコップ=登校エネルギー』が枯渇してしまうことがあります。教員は『さらにまとまりのあるクラスにするぞ』と張り切るのも重要ですが、全員が満足できる行事参加のあり方を子どもたちと一緒に考えたり、『NO』や『助けて』が言える心理的安全性の高い学級をつくっていったりする姿勢が大切ではないでしょうか」
不登校対策としては、「小学校1・2年生は、学習や行動、友達との関係など、自分の土台をつくる大事な時期。不登校予防の最前線でもあります」と、就学前から低学年にかけての早期支援の大切さも強調する。
板倉氏は7年前まで教育委員会指導主事を務めていたが、当時、就学時健康診断で実施した「TK式就学児用発達検査」の下位検査項目(語彙、関連性の発見、数の理解、聞き取り)の結果に凹凸があった子どもは、入学後に支援が必要となる傾向があることに気づいたのだという。
そこで熊谷市は昨年度から、東京未来大学こども心理学部講師の佐藤亮太朗氏と連携し、同検査の結果を活用した不登校や困難さの予防研究を始めている。今年度は、板倉氏が現在校長を務める熊谷市立妻沼小学校ともう1つの小学校で、検査結果を基に通常学級のクラス編制を行った。
「就学前のデータはこれまで、特別支援学級の就学判断に活用されることが多かった。しかし、通常学級で入学後に困り感が出て学習につまずいたり不登校につながったりする子は少なくありません。そうした子どもたちを、エビデンスを基に予防的に支援できるのではないかという仮説の下、クラス編制の検証を進めていきます」(板倉氏)
板倉氏は、「子どもの変容=子ども自身+教師の力」という足し算だと考えている。
「子どもは少しずつ成長していく存在であり、キャパシティーが一気に増減することはありません。子どもの変容を左右するのは私たち教員の理解や指導なのです。子どもを変えるには、教員がやり方を変える、つまり個別化の視点を持つしかない。子どもの成長や望ましい変容のためには、いかに大人のバイアスを取り除き、科学的、客観的、多面的な視点で共感的に子どもを見ていくかが課題だと思います」(板倉氏)
(文:中村藍、編集部 佐藤ちひろ、写真:板倉伸夫氏提供)