シャープを救った台湾企業、鴻海(ホンハイ) サムスン潰しへの野望

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雪だるま式に、規模が規模の経済を呼ぶ。これは偶然成しえたものでは、当然ない。郭董事長は、意識的に「業界トップシェアかそれに準ずる製品・メーカー」をターゲットに受注を集めてきた。これとほれ込んだ企業は徹底的に骨抜きにする。その最たる手段は、「顧客が必要としなくなった工場・人員を買い取る」ことだ。

鴻海が急拡大した00年代中盤は、ハイテクメーカーが、陳腐化した製造設備を手放し、より付加価値の高い新規領域に力を再配分する時代だった。その局面で、鴻海はささやくのだ。「不要資産をお引き取りしましょう。製品は、今まで御社が造っていたのと同じものを、私たちが提供いたします」。モトローラ、ノキア、ソニー、デル……長期にわたり鴻海の大口顧客である企業はみな、生産人員・設備を安価で鴻海に譲渡している。鴻海は大口顧客との商取引を深めつつ人員・設備に紐づいた技術も吸収してきた。例外は、そもそも自社工場ほとんどを持っていなかったアップルぐらいだ。

「脱・台湾」で飛躍したカリスマ

郭董事長は1950年、台北の外省人(国共内戦後、台湾に逃れてきた中国本土人)夫婦の家庭に生まれた。海事関連の専門学校を卒業後、23歳で鴻海の前身となるプラスチック部品メーカーを創業した。当初の生産品目は、白黒テレビのチャンネル。続いて国内パソコンメーカー向けにコネクターを手掛け業容をほどほどに拡大する。だが国内では、それが成長の行き止まりだった。

「台湾政府は中小企業を支援しない。台湾の銀行は大企業にしかカネを貸さない。台湾でやっているだけじゃ、自分は一生小さな町工場のオヤジだ」。そう考え始めた90年代末ごろ、ひょんな経緯でIBMのデスクトップパソコンの筐体(きょうたい)を受注し、さらにパソコン本体の製造も引き受ける機会を得る。「これだ」。技術の手ほどきさえあれば、顧客企業が造るよりずっと安い人件費で生産ができる強みに気づいた。

 

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