傘寿を牢獄で迎えたアジアの元指導者2人/アウンサンスーチーとドゥテルテ/キャラは違えど、いまも国家の命運握る
まったく接点のなかった2人が出会ったのは、同じ時期に選挙で勝って権力の座に就いたからだ。
アウンサンスーチーは2015年11月8日実施の総選挙で自ら率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝した。軍政時代に定められた憲法の規定から大統領になれなかったものの、国家顧問ポストを新設して実質的な国家元首に就任した。ドゥテルテは翌2016年5月の大統領選で勝利し、地方の首長から一気に国政のトップに駆け上がっていた。
対照的な2人が遭遇した
最初の遭遇は2016年9月、ラオスの首都ビエンチャンで開かれたASEAN首脳会議の会場だった。念願の民主化を果たして初登場したアウンサンスーチーにスポットライトが当たると見られていたが、注目を集めたのはドゥテルテのほうだった。
首脳会議最終日に催された東アジアサミットに参加したアメリカ大統領オバマに続いてスピーチしたドゥテルテは、事務方が用意した南シナ海問題の原稿を打ち捨て、一枚の写真を示して言い放った。
「人権侵害はいつの時代でも人権侵害だ。昔の話と言うな」。20世紀初頭にアメリカ軍がフィリピン南部ミンダナオ島でイスラム教徒を殺害した写真だった。
オバマに対する当てつけであることは明らかだった。オバマは何も言わなかった。
ビエンチャンではアメリカ・フィリピン首脳会談が予定されていた。ここでオバマは、ドゥテルテが就任してからの2カ月で2000人を超す死者が出ていた「麻薬撲滅戦争」に懸念を表明すると報道陣に語っていた。これを聞き及んだドゥテルテは激高し、フィリピン語の放送禁止用語を叫んでオバマを罵った。アメリカ側は首脳会談を拒否した。
ドゥテルテはその後のアメリカ・ASEAN首脳会議を「頭痛」で欠席。そして最後のサミットでの発言で先のように鬱憤を晴らしたのである。かつてフィリピン人を多数惨殺したアメリカの大統領に人権問題をとやかくいわれる覚えはないというわけだ。
「暴言王」ドゥテルテの評判は世界に広まり、アウンサンスーチーから主役の座を奪った。
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