したがって、参政党の次にブームをつかもうとするならば、それはどんなにまともな政党や政権であったとしても、まともに反論や議論しても仕方がない。実現性のあるよく練られた政策を提示すると「小難しい」「言い訳ばかり」と、かえって相手にされなくなるだけである。
2つの制約条件を克服してキャッチコピーを作る必要性
だから、キャッチコピーにはキャッチコピーで対抗するしかない。ただし、対抗する「こちら側」(後述)には、不利な条件が2つある。1つ目は、日本経済、日本社会にとって本当にいい政策である必要性だ。かつ実現可能性も必要だ。実際に政策を実行するのだから、言い放しというわけにはいかない。向こうはウケ狙いだから、良い政策、実現性というこの2つの制約条件がないから、はるかに自由にキャッチコピーを作れる。
実は、これは、日本から政策ブレーンが消えつつあることと関係している。かつては、官僚が政策ブレーンだった。彼らは、実現性においては完璧だ。しかし、夢も面白味もないから、現在の21世紀には、「官僚的な13.9兆円規模の補正予算」、というのはまったく有権者を引き付けないのである。
石破政権が行ってから1年も経っていないが、誰もそんな補正予算のことなど覚えていない。その次に、学者やいわゆる有識者で、ブレーンといわれる人々が跋扈した。アメリカの経済学者ポール・クルーグマンの『経済政策を売り歩く人々』という1990年代の著書は有名だが、21世紀の日本では、政策のフリをしたキャッチコピーを2010年代には、首相などに売りつけ、首相を安心させるだけの政策が主流になった。ブレーンの側にも常識も良心もなくなり、ウケる政策ならなんでもよかった。
しかし、2020年代になって、さらに状況は悪化した。つまり、まともな政策を提言する側にとって不利な条件の2つ目の登場である。それは、国民全体に支持される必要がない、好かれる必要がない、という最初から過半数をとることを念頭に置かず、「一部にだけウケればいい」という政党が主流になってきたことである。
これは有利だ。ウケ狙いの政策は、単純でわかりやすく、その結果極端になることが多い。極論をすれば、刺激も強くなり、政策、選挙としてのエンタメ性も上がる。その結果、ウケる確率が上がる。ただ、全員にはウケない。誰かには嫌われるし、非難もされる。だから「みんなに受け入れられよう」「過半数を取ろう」と思うと、極論はできなくなり、ウケることは言えなくなる。つまらない当たり前のことになってしまう。よって、多数派を狙う政党は勢いを失う。
この結果、2020年代には多党化が進み、古い政党、政策の整合性、細部あるいは実現性にこだわる、人気があろうがなかろうが、一応まともな政策を打ち出そうとする政党は、まともであるがゆえに没落していったのである。
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