未来学者の未来予測と、経営学者の未来予測はどこが違うのか? 未来に関心のある経営者が大局を知るべき理由
これまで経営戦略論は、エビデンスを欠く推論はサイエンスと呼べない、ましてや特定技術の成否に依存する未来など推論できないと、未来予測を避けてきました。
しかし、そう開き直ることに私は抵抗を覚えます。未来さえ読み解ければ、採るべき戦略など半ば自明だからです。
経営学者が未来予測に挑む理由
役に立つ戦略論を志向するなら、未来予測は避けて通れません。
未来予測は、従来は「未来学者」のやることでした。
たとえば ITやAIの影響を論じてきたのは、メインフレームコンピューターが普及した1970年代ならDaniel Bell(ダニエル・ベル)、PCが台頭した1980年代ならAlvin Toffler(アルビン・トフラー)、インターネットが出現した1990年代ならPeter Drucker(ピーター・ドラッカー)という面々です。
ベルの『脱工業社会の到来』(上・下、ダイヤモンド社、1975年)やトフラーの『第三の波』(中公文庫、1982年)やドラッカーの『ポスト資本主義社会』(ダイヤモンド社、1993年)は経営者のあいだでベストセラーになりましたが、経営戦略論の立場からすれば違和感が残ります。
最大の問題は、彼らの関心が「津波」に集中するところにあります。ここでいう津波とは、社会を隅から隅まで洗う大変化のことで、農業革命、産業革命、情報革命が代表例とされてきました。
上記の未来学者たちは漏れなくジャーナリストから身を起こしており、「社会」全般を論じたくなるのは半ば当然なのでしょう。しかし、彼らに触発されて「百年に一度の大変革」などと浮き足立つと、ロクなことになりません。
私が『戦略暴走』(東洋経済新報社、2010年)と『経営戦略の実戦』シリーズ(全3巻、東洋経済新報社、2015~2022年)で積み上げてきた600余のケースを踏まえると、戦略機会を提供する変化は常に局所的です。「津波」とは似ても似つかないものです。
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