「トランプの妖術」にはまっているが、いずれ世界経済と日本社会の崩壊に人々が気づけば大暴落がやって来る、今は日本株を高値で売る「絶好のタイミング」だ

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一方、日本政治や日本社会の崩壊にはもう少し解説が必要であろう。参政党は、なぜ躍進したのか。それは、とらえどころのない不満をぶつけ、退屈しのぎになる「革命ごっこエンターテインメント」を与えたからである。

「革命ごっこエンターテインメント」の問題点とは何か

ある人は「パンとサーカスの、サーカスを提供した」と言う。確かに少し似ているが、もっと本質的に危険なおもちゃを人々に与えたのである。サーカスであれば、既存政党、ぱっとしない古臭いやつら、かつ政治という権力を握っているやつら、彼らをやっつける見世物を提供したということにすぎない。しかし、今回のイベントは、見世物ではなく、つまり、見るだけではなく、自らの手で、壊す、破壊する、それを自ら感じることができる快楽を提供したのである。

外国人が悪い、というののしり、悪口で憂さ晴らしをするのではなく、日本社会、日本政治の秩序を壊す、破壊するという暴力的な快楽を味あわせる、その破壊活動に参加する機会を提供したのである。しかも、その破壊は、罪悪感がまったく生じず、それどころか、世の中の諸悪の根源を破壊するという正義感をも与えたのである。

しかし、もちろん、革命というのは本来そういうものである。歴史上のほとんどすべての革命、成功した革命、失敗した革命、未遂に終わった革命、いずれもが、この要素を部分的にもっていたであろう。だから、今回の革命ごっこは、本当の革命になる可能性は論理的にはある。だから、この革命ごっこを否定的にとらえているのは、私の個人的な判断にすぎない。

したがって、これこそ、真の革命につながると思っている人々もいるだろう。しかし、例えば、フランス革命と異なるのは、フランス革命には、自由、平等、博愛という理念があり、民主主義を実現するという使命があり、かつそれを実現する政治体制に対する具体的な理論があった。ただ、壊すだけでなく、壊した後に据えるものを明確に持っており、それを実現する力も持っていたのである。

参政党は、憲法草案を提示したが、これは、真の革命であるイメージを与えるための戦術であろう。ここでいちばんの問題は、その中身の是非ではない。参政党の支持者を熱狂させているのが、憲法草案に書かれた中身にあるのではなく、憲法草案を作った、提示した、というその行為(ごっこ)が存在することにあるのである。だから、中身の巧拙、是非はどうでもいいのだ。

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