原爆投下から80年。昨年は日本被団協が初のノーベル賞でやっと認められた「ヒバクシャの声」。それでも「核なき世界」が遠のく理由
オッペンハイマーは「マンハッタン計画」(原爆の開発計画)を指揮します。原子爆弾をドイツがつくる前に早くつくろうとしたところ、完成したときにはもうドイツが降伏してしまっていた。
だからオッペンハイマーやその周囲の人たちは、「日本も降伏するのは時間の問題だから、日本に使うべきではない」と言ったのです。しかし、当時のアメリカ大統領のハリー・S・トルーマンは、日本への原子爆弾の投下を決めました。
「これからはソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)がアメリカの敵になりつつある。ソ連に対し、アメリカはこのようなとてつもなく力のある兵器を持っていることを示す必要がある」というわけです。オッペンハイマーがトルーマンに対し、「私の手は血塗られている」と言って苦悩するシーンが印象的でした。
国連演説「ノーモア・ヒバクシャ」
日本被団協は海外でも原爆被害を伝えてきました。1982年には当時の代表委員の1人だった山口仙二さんが、国連の軍縮特別総会で被爆者として初めて演壇に立ちました。そして「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモアWAR、ノーモア・ヒバクシャ」と訴えたのです。
2016年には、当時のアメリカのオバマ大統領が原爆を投下したアメリカの現職トップとしては初めて広島を訪問。日本被団協の代表委員だった坪井直さんの手を握りながら話に耳を傾け、被爆米兵を調査してきた被爆者の森重昭さんと抱き合った場面は記憶にある人も多いでしょう。
ただ、これまで日本は核兵器の開発や保有、使用などを禁止した「核兵器禁止条約」の締約国会議に正式に参加していないだけでなく、オブザーバーとしても参加していません。オブザーバー参加とは、簡単に言えば条約に署名や批准はしていないけれど、国として会議に参加することです。なぜ唯一の戦争被爆国である日本がオブザーバー参加すらしていないのか。
それはアメリカの「核の傘」によって守られているからです。日米同盟を結んでいるため、同盟関係に影響を与えるようなことはしたくないのです。
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