原爆投下から80年。昨年は日本被団協が初のノーベル賞でやっと認められた「ヒバクシャの声」。それでも「核なき世界」が遠のく理由

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それでいえば、日本の佐藤栄作元首相も受賞しています。受賞理由は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の、いわゆる非核三原則を表明したから。しかし、実はアメリカと密約が結ばれていて、核兵器を「持ち込ませず」については、事前にアメリカが「持ち込みたい」と協議を持ちかけたらOKすると伝えていたことが明らかになりました。

直近では、2017年にICAN(アイキャン/核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞しています。2017年に国際連合(国連)で核兵器禁止条約が成立したからでしょう。核兵器廃絶に向けて多くの人々が活動を行っています。しかし、被爆者の団体が核兵器廃絶を訴えているのは、まさに日本被団協だけなのです。

こうして広島、長崎に原爆が落とされた

受賞にあたり、92歳(受賞時)の日本被団協の田中煕巳代表委員は、「(核廃絶へ向け)大きな運動が起きるきっかけになってほしい」と力を込めて語りました。

2024年12月8日の日本経済新聞によれば、被爆者は戦後、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効するまでの間、沈黙を強いられたとか。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によるプレスコード(報道規制)のために、被爆の実相を語ることが許されなかったのです。転機は1954年、太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験でした。

近海で操業中だった第五福竜丸が放射性降下物「死の灰」を浴び、乗組員の久保山愛吉さんが亡くなりました。これをきっかけに「核実験の禁止」を求める市民運動が起こり、超党派で「原水爆禁止運動」が盛り上がったのです。この盛り上がりの中で、1956年に日本被団協が結成されました。

2024年、日本で映画『オッペンハイマー』が公開されました。世界初の原子爆弾を開発した「原爆の父」として知られる物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた作品です。

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