この快進撃の裏で、吉田氏を最大の悲しみが襲っていた。最愛の妻、リンダさんの死だった。
2年ほど前から言語障害が出始めて、脳梗塞を疑われたがその後の検査で運動神経が徐々に壊れていく病気ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、あと3年から10年の命と告げられた。
「リンダがおらんかったら私は成功していません。オムツの替え方まで覚えて、看病するつもりでいたんです」
しかしリンダさんの病気は急速に進行した。昨年4月から吉田氏は妻リンダさんの看病を優先するようにしてきたが、その年の12月リンダさんは天国へと召されてしまった。

「あんな辛いことはなかったです」、涙を流して話す吉田氏。つい最近まで、人と会うことも嫌になり、自宅に閉じこもる生活を過ごしていた。98キロあった体重も80キロまで減ってしまった。
妻の死が教えてくれた弱さを受け入れること
だが、この経験が「男のくせにメソメソするな!」と言われて育った吉田氏の中にあった「人間、強くなきゃあかん」という固定観念を崩してくれた。
「こういったらあれですが、うつになる人は弱いからやるんやと思っていたんですわ。人前で涙を流すなんてもってのほか、そんなん弱い人間がすることやって。
でも、リンダのおかげでそれが間違った考えやったと気がつきました。75にして、人前で泣けるようになったんです。ものすごい人生の学びです」
自分の弱さを受け入れた吉田氏は、次回日本に来たときには、少年院を回りたいと話してくれた。
「私も昔はケンカばっかりしてましてね、ほんで強かった。でもね、自分の弱さを受け入れてわかることがあるんです。ケンカに勝ちたかったんは、勝つことに対する優越感とか、そういうことやなくて、負けるのが怖いから必死だったんやと思う。それが本心ですわ。
みんな怖いし、不安やから頑張っとんねん。きっと少年院にいる子らも不安なんやと思うんです。だから、そういう子たちを大丈夫やでって励ましたいんです」

全米を代表する起業家となった吉田氏。経営の極意を学ぼうと、吉田氏の元には日本からも多くの会社経営者たちがやってくる。吉田氏はそんな経営者たちに自分がどうやって成功するに至ったのかを惜しみなく話し説いている。
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