無名のソースを売るために、吉田氏はパフォーマンス販売を思いつく。着物に下駄、頭にカウボーイハットを被るという奇抜な格好で店頭に立つと、バナナのたたき売りの手法を使って客を惹きつけていったのだ。
「当時のアメリカの店頭販売はすごく上品な感じやった。女性の販売員が静かに商品を手渡すだけ。そんなことしても、客はなかなか手にとりませんでした。
思いついたのがバナナのたたき売りですわ。私は京都の商店街で育ったから、バナナのたたき売りをよく見ていた。それを真似てみたんです」
リンダさんがソースを絡めた試食用チキンを焼き、吉田氏が客に試食を勧めた。
「クレイジーヨシ」とコストコ創業者
創業翌年、当時まだ全米で2店舗しかなかったコストコで店頭販売を開始すると、吉田氏の愉快なしゃべりに次々と客が足を止めた。「試食してくれたお客さんの7割がソースを買ってくれました」。
ところがある日、もう5回は試食をしているというのにソースを買わない客がいた。吉田氏は下駄をカンカン鳴らしてその客を駐車場まで追いかけた。
「ほんとは頭にきて追いかけたんです」という吉田氏だが、客にはこんなふうに声をかけた。
「何回も試食しているのにソースを買わないのには理由があるんでしょうか? あったらすぐに変えますから、理由を教えてください」とストレートに聞いたのだ。
もちろん、お得意のユーモアも忘れない。「うちの嫁、怖いんです。家に子どもが12人もいて、買ってくれないと嫁に殺されるんです」。この話に笑い出した客はソースを購入してくれた。

この時、駐車場まで客を追いかける姿を見ていた人物がいた。それがコストコの創業者ジム・シネガルだった。
このできごとをきっかけに、ジムは吉田氏を「クレイジーヨシ」と呼ぶようになる。「クレイジーヨシは絶対に成功するよ!」、普段は無口なジムがコストコの従業員たちにはそう話していたという。
地道に店頭で売ることを続けていくと、ソースはどんどん売れるように。17年後、吉田氏のソースは全米の照り焼きソース部門の26%のシェアを占めるようになり、売り上げは2500万ドルを記録していた。
すると、アメリカの食品大手ハインツ((現クラフト・ハインツ)から会社を売ってくれという話が持ち上がる。
「最初は断ったんですけどね、販売権だけでもほしいと粘られて、販売権だけという約束で譲渡を決めました」。2000年、吉田氏は2400万ドルでアメリカでの販売権を譲渡した。
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