185系、最後まで残った「国鉄型特急電車」の記憶 風格はイマイチでも「踊り子」や「新特急」で頭角

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「新幹線リレー号」は、営業上は新幹線列車の延長とされ上野―大宮間は原則無停車だった。筆者の印象では混雑が激しい列車と記憶しており、特に冬季の上越方面のスキー客の混雑ぶりには閉口したものだ。乗り降りに時間がかかり、新幹線に接続できるのかも不安材料のひとつだった。

特急と通勤輸送を兼ねる車両として登場した185系だったが、実際のところラッシュ時の普通列車に向いているとは言い難かった。だが「座れる通勤列車」として、その威力を大いに発揮することになった。

東北・上越新幹線上野開業による1985年3月14日のダイヤ改正をもって「リレー号」は運転を終了し、それまで運用されていた200番台車は急行を格上げした特急である「新特急」の「谷川・水上」「あかぎ」「草津」「なすの」に投入された。新特急は実質的に急行と変わらないダイヤのため値上げとの批判もあったが、定期券でも利用することができ、北関東方面へのビジネス客や通勤客に浸透した。

新特急なすの 185系200番台 JR
古河付近を走る「新特急なすの」(撮影:南正時)

「座れる通勤列車」の立役者

国鉄最後のダイヤ改正となった1986年11月には、東海道線平塚方面の着席通勤列車として「湘南ライナー」が運転を開始した。この列車は、それまでの「ホームライナー」のように回送の特急車両を活用したものではなく、185系を使用してラッシュ時に東京を発着する専用のダイヤを設定したのが特筆される。

根府川 185系踊り子
東海道本線の根府川橋梁を渡る185系の「踊り子」(撮影:南正時)
【写真】大海原をバックに快走する斜めストライプ塗装の185系「踊り子」

当初は東京―小田原間で運転され、2年後の1988年には、新宿駅発着の「湘南新宿ライナー」が登場。現在の湘南新宿ラインの基礎を築いた列車になった。特急用としては格が落ち、通勤用としては豪華すぎるという当初の評価は「踊り子」と「ライナー」の評判で面目が立った、というところであろう。

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