
今回話を聞いたのは、教員21年目の若林直人さん(仮名)。公立高校で主幹教諭を務めているが、今年度限りで退職することを決意。別業種への転身を予定しているという。一定の収入と、積み重ねてきたキャリアを捨てる決断の背景には何があったのか。若林さんの教員人生を追った。
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投稿者:若林直人(仮名)
年齢:45歳
勤務先:公立高校(主幹教諭)
「生徒を見捨てない」教育困難校で伸ばした教員のスキル
若林さんが教育に関心を持ったのは、大学生のときだった。ただ、当時は教員採用試験の競争倍率が非常に高かった時代。文部科学省「公立学校教員採用選考試験の実施状況」によれば、若林さんが大学生だった25年前の2000年は、小学校12.5倍、中学校17.9倍、高校13.2倍といずれも10倍以上だった。
「そんな狭き門を通過できるとは思えなくて、大学時代は教職課程をとりませんでした」
就職氷河期でもあり、うかうかしていると働き口が見つからないという危機感もあったのだろう。若林さんは進路を教員に絞る選択はせず、いったんは民間企業に就職した。
しかし、教育への情熱は消えなかった。働きながら通信制大学の教職課程で学ぶことを決意し、2年後に採用試験の合格を勝ち取る。
最初に勤務した高校は、いわゆる進学校ではなかった。地域では「教育困難校」とみなされており、タバコを吸っている生徒が多数いたほか、校内暴力も目立っていたという。それでも、学級崩壊に関心を持っていた若林さんにとってはむしろ意欲を掻き立てられる状況だった。
「加えて、校長先生をはじめとする先生方が『生徒を見捨てない』という意思を共有していたので、今思えばやりやすい環境だったと思います。困ったときは先生同士で当たり前のように助け合っていたので、私も必要なときはすぐに動ける行動力が身につきましたし、初任だったこともあって先生方からいろいろなアドバイスを得られたのもありがたかったです」
そうして日々生徒と向き合う中で、教員としてのやりがいもより味わえるようになっていく。
「ともにいろいろなことに取り組む中で、生徒たちは学力だけでなく社会性もつけていきました。取り組んだことが成果となって表れるので、本当にやりがいがありました」
担任を持たない場合は、授業でしか生徒と接することができないため、若林さんは積極的に担任を受け持つようになった。
「担任をしていると、教科の授業だけでは見えない生徒の実態が掴めます。まったく勉強に集中できない生徒に、実は発達障害があることが判明したり、保護者が事件を起こして逮捕されていたりなど、本人だけでは解決できない問題が発生することもあります。こうしたケースは、適切な関係機関や制度による支援につなげるなど、生徒だけで抱え込まないように努めてきました」
異動でぶち当たった「パワハラ環境」の弊害
若林さんが担任にこだわる姿勢は、異動後の2校目で主幹教諭に任命された際に“担任を持つこと”を条件に加えたところにも表れている。主幹教諭は、校長や副校長、教頭を補佐するポジションで、学校運営に関する企画・調整を行うとともに、教職員の指導・監督・育成も担う。担任がプレイヤーだとしたら、主幹教諭はいわゆるマネジメントの役割を担うため、担任を兼務するのは簡単ではない。