研究者の間でもいまだに定説と呼べる一致を見ない"古代史の謎" 朝鮮半島に古代日本の「植民地支配」はあったのか

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『日本書紀』では半島南端に「任那日本府」と呼ばれる倭国の政権の出先機関のような組織が常駐し、これらの国を指導していたような書きぶりだが、中国正史や『三国史記』、『三国遺事』といった中国史、朝鮮史の文献史料にはそのような記述は見られない。

『古事記』や『日本書紀』などの史料は日本の影響力をかなり誇大に描いているのではないか、との見方が主張される所以である。

1910年の日韓併合以来、1945年の敗戦までは、古代の日本の大陸進出が近代日本の植民地支配の先例としての歴史的意味合いを持っていたことも事実である。任那日本府が、朝鮮総督府と重ね合わされていたことも否定できない。

その意味で神功皇后やその補佐をしたとされる大臣の武内宿禰(たけのうちのすくね)などは、かつてはよく知られた人物だった。戦前に武内宿禰は紙幣の肖像としても採用されていたが、そこに印刷された豊かな顎髭を生やした老翁の肖像は、どことなく韓国初代統監・伊藤博文に似ているように思われる。

戦後になっても、しばらくは任那日本府を倭国の外交機関のように見る捉え方が主流を占めていたが、その後はこれを否定する論が次々と現れ、今では『記・紀』の伝えるような「三韓征伐」を肯定する研究者はいない。ただ、果たしてその実体は、となると、まだ定説と呼べる一致はみていないと言うべきだろう。

この問題は、20世紀の東アジア情勢とも絡んで政治的、イデオロギー的にも微妙な問題をはらんでいる。

先にも触れたように、倭国(日本)の王権が組織的に半島へ侵攻し、植民地支配に乗り出した事実が古代にあったのかどうか。あったとすれば、それが20世紀に韓国を併合した事実を正当化するうえで、少なからぬ影響を与えたからだ。

『古事記』の神功皇后「三韓征伐」伝承

今、あらためて原点に返って『古事記』と『日本書紀』にどう書かれているか、確かめてみよう。『古事記』では、第十四代仲哀天皇段である。

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