研究者の間でもいまだに定説と呼べる一致を見ない"古代史の謎" 朝鮮半島に古代日本の「植民地支配」はあったのか
この天皇が熊襲征伐をするため「筑紫」の「香椎」に滞在していた時に妻である神功皇后に神が依り憑き、「西の方に金銀を始めとして目の輝く種々の珍しき宝が多くある国がある。私がその国を授けよう」との託宣を下した。
しかし天皇は、「海の彼方を見ても島があるようには見えぬ」と言って、これを信じようとしなかった。すると深夜、天皇と皇后と大臣武内宿禰の3人が祭祀を行っていたところ、神は天皇に「この天下は汝の知らすべき国にあらず。一道に向かいたまへ」と言い、気が付くと天皇が弾いていた琴の音が絶えた。武内宿禰が松明の火をかざすと天皇は既に息絶えていたという。
その神は武内宿禰に神託を下し、皇后に凡そ、この国は汝命(みこと)の御腹に坐ます御子の知らさむ国なり。(およそ、この国は汝の腹におられる皇子が治めるべき国であるぞ。)
と言った。武内宿禰が神に御名を聞くと、
こは天照大神の御心ぞ。また底筒男・中筒男・上筒男の三柱の大神ぞ。
と答えたという(注・底筒男/そこつつのお・中筒男/なかつつのお・上筒男/うわつつのおとは住吉大社の祭神である)。
神の言葉通りに皇后が遠征軍を整え、船を並べて海を渡ると、波の勢いで新羅の国の半ばまでに辿り着いた。新羅の王は、何の抵抗もせず「今より以後は、天皇のご意志通りにその御馬を飼う民として毎年休むこと無く、天地の続く限りお仕えいたします」と誓った。
こうして新羅は天皇の馬飼いとなり、百済の国は海の向こうの「屯家(みやけ)」(直轄地)と定められた。皇后は、御杖を新羅の国王の門の前に突き立て、住吉大神の荒魂(あらみたま)を国を守る神として祭り、帰国された。
こんな風に綴られている。
『日本書紀』の神功皇后「三韓征伐」伝承
『日本書紀』はどうだろうか。もちろん『日本書紀』にも同様の経緯が語られている。
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