岩手県宮古市・わかめに託した復興への希望
重茂地区は、昔から「三陸わかめ」というわかめのブランドを持つだけでなく、あわびやウニなど高級水産物が採れる地域だ。ブランドを守るための活動も継続している。
(漁協組合の牽引で、町には反原発を訴える垂れ幕などが色々な所に掲げられている)
チェルノブイリ事故以降から、日本生活協同組合連合会の協力を得て、わかめなどの放射能汚染測定を続けている。海域によっては、独占漁業権をもち、高い養殖技術をもつ人も多く、年収2000万円の高収入な漁師もいる。全員が組合に入っており、後継者不足にも悩まされていない稀な地域だ。その分、震災後は組合が若い後継者の流出を懸念し、一刻も早い復興を支援してきた。「震災後に漁業を辞める人は誰もいなかった」(高坂氏)。
(がれきは全て撤去したが、港の整備は遅れ気味)
40年以上、わかめ漁を営んで来た現役漁師の佐々木正男さん(55)も、「震災直後に真っ先に心配したのは、息子達の将来」だと振り返る。後継者の息子二人は、長男が29歳、次男が24歳。水産高校を卒業し、漁師以外の道は考えていない。今は、3隻の船は全て流されたが、組合から船を2隻借りている状況だ。
それでも、わかめ養殖はなんとか通常の6割程度まで復活させた。「早く復興のメドを立てないと、息子達を含め、若い漁師の気持ちが離れていくリスクがある」と、佐々木さんの真剣な思いがあったからだ。今後は、「船はあっても、防潮堤の再建が優先され、船を止めておく港が全く整備されていない。収穫期に港での漁師たちの船の混乱は避けられない」と心配はつきないが、佐々木さんは「ここで漁師をやる以外、他の道はない。息子達のためにも、必ず復興しなければならない」と、力強い。
荒い海に揉まれながら、宮古の漁師達は復興への道を着実に進んでいる。
(張 子渓、平松さわみ =東洋経済オンライン)
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