チリの醸造家は、フランスのワイン造りなんてシンプルでつまらないと熱く語る人たちで、挑戦者の魂を持っていたが、醸造家とブドウを収穫する作業員の貧富の差が激しく、彩奈はワイナリーとは何なのか、なぜ醸造家になったのか、その理由を考えさせられた。
清潔な印象のワインを作るニュージーランドの醸造家は、仕込む前にブドウを冷やしていた。フランスでも、南アフリカでも見ない方法だったが、一度ブドウを冷やすと圧倒的に酸化しにくくなることがわかった。
「各国の良いとこどりをしようと思っていた」という彩奈は、帰国するたびに各地で体験した新しい栽培法、醸造法を実験的に取り入れて行った。実際に高い効果を発揮する手法もあり、醸造家として成長の手応えを得、中央葡萄酒のワイン造りが進化しているという実感があった。しかし、肝心の甲州種の糖度は上がらなかった。
ブドウは植樹してから3年で収穫期を迎えるため、垣根栽培を始めた2005年に植えたものは2007年に収穫することになる。2007年から毎年、垣根栽培で実った甲州種の糖度を計るたびに期待に胸を膨らませてきたが、彩奈の口から出るのは落胆のため息ばかり。2007年から11年まで、5年連続で失敗した時には、思わず膝に手をついた。
「結果が出なくて、とにかく苦しかった。未知数の甲州種にすべてを懸けている状況で、ふとしたときに、いつか甲州種は私の努力に答えてくれるのだろうかと不安になったし、醸造家を辞めようと思った時期もありました。なんとか打開策を見つけなくてはならない、なんでもいいからヒントが欲しいと思って、そのために南半球に通い続けていました」
ブドウの収穫は1年に1回しかない。彩奈は、どこに答えがあるのかわからないまま、醸造責任者として全責任を負って自分が正しいと信じる方法で手を施してきた。垣根栽培は、手間もコストも棚栽培を大きく上回る。そこまでして1年待った結果が期待外れに終わったときの失望感は、想像もつかない。
ついに「糖度20度の壁」を超える
醸造家として自信を失いかけていた彩奈に光明がさしたのは、2012年だった。その年にできた甲州種の糖度が20度を越えたのだ。口に含んだ時の風味の凝縮感も、それまでとは明らかに異なるものだった。待ちに待った甘い甲州種を生み出したのは、2009年に、南アフリカのステレンボッシュ大学院の教授から提案されたリッジシステム(高畝式)を採用した畑だった。
「赤ワインの場合、風味を凝縮させるためにできるだけ水はけが良い土壌、痩せた土壌などで栽培して樹にストレスをかける方法が主流なんですが、白ワインは水分ストレスをかける必要はないというのが一般的な考え方で、日本はもちろん、海外でも白ワイン用ブドウの畑で高畝式の畑は見かけませんでした。でも、ワイナリーがある明野町がいくら日本のなかで日照時間が一番、日本一雨が少ない町だと言っても、世界的には雨が多い場所なんですよね。それで、ステレンボッシュ大学の先生が推奨してくれた高畝式で排水するようにしました」
南半球への渡航を繰り返したからこそ出合ったこの手法は、翌2013年、さらなるサプライズをもたらした。糖度が22度を超える房が現れたのである。前年に感じた手応えは確信に変わった。垣根栽培×高畝式で、完全に糖度20度の壁を突破したのだ。
父親が1992年に垣根栽培を始めてから、気づけば21年の歳月が経っていた。
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