トランプの「エネルギー支配外交」を支える思考法 アメリカ社会を分断した「世界の政治経済構造」
第2次世界大戦後まもなく、冷戦が始まったが、同時に、石油が世界で最も重要なエネルギー源となった。その結果、アメリカは西側世界の守護神として、同盟諸国の石油供給を保障するという役目を負った。ここに、今日まで尾を引く問題を生み出した基本構造がある。
トンプソンは、特に1956年のスエズ危機に着目している。
スエズ危機は、エジプトのナセルがスエズ運河を国有化し、イスラエル船舶の通行を禁止したことに端を発する。この事件を受けて、イギリス、フランス、イスラエルの3か国は、エジプトに対して軍事行動を開始した。ところが、これに反発したアメリカが、イギリスに圧力をかけたため、イギリスは軍事行動の停止を余儀なくされた。
一般的に、スエズ危機は、イギリスの国力低下を象徴する出来事として受け取られている。しかし、問題は、より深いところにあった。
この事件によって、アメリカによる石油供給の保障に不安を感じるようになった西ヨーロッパ諸国は、エネルギーの自立を目指すようになるとともに、ソ連産原油に頼るようになったのである。そして、このことは、NATO(北大西洋条約機構)の結束に亀裂を生じさせた。
我々は、2022年に勃発したウクライナ戦争で、ロシア産のガスに依存するドイツなどヨーロッパ諸国が、対ロシア制裁を求めるアメリカとの間でディレンマに陥っているのを見たが、その端緒は、1956年のスエズ危機にあったのである。
2010年代のユーロ圏危機を招いた「民主主義の過剰」
また、西ヨーロッパ諸国がソ連産原油を輸入し始めたことで、西ヨーロッパ市場のシェアを落としたアメリカの石油会社は、一方的に価格を引き下げた。これに激怒したサウジアラビア、イラン、イラク、クウェート、ベネズエラはOPEC(石油輸出国機構)を結成した。このOPECが、1970年代の石油危機を引き起こしたことは、言うまでもない。
1970年代の石油危機によって、アメリカや西ヨーロッパ諸国はインフレに見舞われ、国内の対立や紛争が激化した。当時のインフレの原因は石油価格であったにもかかわらず、「民主主義の過剰」が問題視され、インフレ対策として、労働組合が弱体化させられる一方、中央銀行の独立性を高める動きが推し進められた。
この「民主主義の過剰」に対する警戒感や中央銀行の独立性に対する信念は、後のヨーロッパの通貨統合にも影響を与えた。各国の民主政治から独立したECB(欧州中央銀行)によるテクノクラート支配という制度設計が、それである。しかし、この非民主的な制度こそが、2010年代のユーロ圏の危機を引き起こすこととなる。
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