活動的な研究者の多くは、生命の構成部品である既知の分子の合成にのみ焦点を絞り込みさえすれば、生命とその起源を十分に説明できると決めつけている。
話を進めるために、生命の構成部品であるそのような分子を、”意識と相関した神経活動”に合わせて、"生命と相関した化学物質"と呼ぶことにしよう。それらの化学物質が生命と相関しているのは、既知の生命の中に存在する分子だからである。
しかし、それらの化学物質がすべての生命に普遍的な性質を持っているかどうか、それは分かっていない。もしもそのような性質を持っていたとして、それがどのような性質であるかも、分かってはいない。
化学作用を特定するだけでよいのか?
神経科学者のあいだでは、意識と相関した神経活動を特定するだけでは、意識に関する難しい問題に完全に答えることはできないと認識されている。
ところが多くの人は、生命と相関した化学物質を特定するだけで、生命の起源の問題を解明し、別天体に棲む異世界生命を発見できると信じている。
また、意識に関する神経科学研究とまったく同様に、生命の起源に関するほとんどの研究も、明らかに”簡単な問題”に焦点を絞っている。
それらの簡単な問題に取り組むのは、技術的には難しいかもしれないが、少なくともその進め方を思い描くことはできる。そこにはたとえば、複製、区画化、代謝などの基本的メカニズムを解明することが含まれる。
既知の生命にとって鍵となるこれらの化学作用は、生命を定義しようとして失敗した数々の試みにおいてたびたび取り上げられている。
区画化には具体的な実例があり、私たちの知る生命は細胞という区画として存在している。疎水性の脂質を水に混ぜると自己集合して脂質二重層を作り、多くの場合、内部と外部を持つ細胞そっくりの球形の油滴となる。
確かに”生命に似ている”が、はたして生命だろうか?
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