パナソニック・中村邦夫という聖域 プラズマ敗戦の「必然」

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“プラズマ大和”背負う 失敗を直視できぬ体制

「プラズマはわれわれの顔だ」。今から6年前、中村は週刊東洋経済のインタビューに対して、こう繰り返した。パナソニックにとってプラズマは、00年代における最大の投資案件。中村がこれほど入れ込んだ動機は、液晶テレビで先行するシャープなどへの対抗心が一因にあったといわれる。

しかし05年にはほぼプラズマという技術の敗北が見えていたにもかかわらず、07年初には投資額2100億円もの巨大工場「尼崎第3工場」の建設を発表する。大坪は当時メディアに対し「役員会ではまったく異論が出なかったんですよ」と語っている。10年1月に稼働したこの工場は、結果的に約1年半で生産停止を決めた。最新鋭の設備を備えながら、活躍の機会を得られずに散った巨大工場を“戦艦大和”に例える関係者もいる。

かつてのV字回復を演出した改革の旗手だが、その後の低迷の種をまいた張本人もほかならぬ彼である。中村邦夫という“聖域”は、再考されなければならない。(敬称略)

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(西澤佑介、前田佳子 撮影:今井康一 =週刊東洋経済2012年1月28日号)

記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。

 

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