相鉄「実は重要拠点」星川駅の知られざる裏側 「相直列車」通らないが全線の運行に欠かせない
星川駅は1927年5月31日に相鉄の前身である神中鉄道によって北程ヶ谷(きたほどがや)駅として開業した。神中鉄道はその1年ほど前の1926年5月、まず二俣川―厚木間で営業を開始。同年12月に東へ延びて誕生した現在の上星川駅が当初、星川駅を名乗っていた。
その後、神中鉄道は西横浜、平沼橋と少しずつ東へ路線を延ばしていき、横浜までが開通したのが1933年12月のことだった。それに先立つ同年4月、当初の星川駅が上星川駅に、北程ヶ谷駅が星川駅に改称している。
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駅周辺の工場跡地は今
戦後、高度経済成長期の輸送力増強の一環で星川駅は1969年4月に橋上駅となった。1980年10月には社員のための「星川診療所」が駅構内南側に置かれた。1985年3月には10両編成に対応するホーム延長工事が完成した。
以前の相鉄は急行と各停の2種別のみで、ラッシュ時には星川駅で急行が各停を追い抜いていた。1999年2月の快速運転開始と同時に快速停車駅となる。連続立体交差事業に伴い、2008年3月に仮駅舎に移転、橋上駅舎は解体された。
かつて駅周辺は工場が建ち並んでいて、相鉄も貨物の取り扱いをしていたが、現在、工場の敷地跡はマンションなどに生まれ変わっている。1989年8月には南口に旧・古河電池工場跡地の再開発の一環で「星川SFビル」が完成している。
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