フジ「港体制の象徴」番組が今さら終了の"是非" 時代にそぐわない番組はなぜ生まれてしまったか

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その点、オールナイトフジコは、企画段階から「80年代の夢をもう一度」と、コンセプトの焼き直しを前提としていた。制作発表時の公表文には、以下のような売り文句が並んでいる。

「なぜ、『オールナイトフジ』なのか?今の地上波に必要なものは、あの番組が持っていた熱量だと思うからだ。港浩一社長と盟友秋元康は、とにかく、金曜日の深夜に2時間(筆者注:現在は1時間)の生放送をやってみようと考えた」

「要するに、全てが見切り発車なのである。それこそがテレビの真骨頂だ。やってみなければわからない。大コケしたら、全ては、大多亮専務(筆者注:現在は関西テレビ社長)のせいにして逃げ切ろうと、立松嗣章編成局長は語る」

番組発表文
「全てが見切り発車」「それこそがテレビの真骨頂」との文言が確認できる(フジテレビ公式サイトより)

熱量の高さがにじみでてくる発表文には、当時バラエティ制作センター部長だった中嶋優一氏による「世の中やメディアの常識に一切とらわれず、“やっぱり地上波テレビが一番面白い!”と思っていただけるよう、秋元さんや佐久間君たちと“遊び心”最優先で作って参りますので、皆さまの応援よろしくお願い致します。テレビの逆襲を始めます」といった意気込みも添えられていた。

性のブランディング化「女子○○」は好まれなくなった

元祖であるところの「オールナイトフジ」は、1983年から1991年に放送された(なお、それ以前にも同名の番組が存在)。「オールナイターズ」と呼ばれる女子大生が出演したが、深夜生放送ゆえの過激さから「低俗だ」との批判も出た。

1980年代には「ミスDJリクエストパレード」(文化放送)などとともに、いわゆる「女子大生ブーム」が起きていた。その後、フジは年齢層を下に広げて、女子高生メインの「夕やけニャンニャン」(1985〜1987)につながっていく。

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