フランス映画の巨匠が撮る「映画への深い愛」 デプレシャン監督に取材、仕事観などを聞いた
――監督の映画好きな気持ちがとても伝わる映画でした。
フランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、エリック・ロメールなどもそうでしたが、フランスでは昔から、映画監督になる最大の近道は映画批評家になることだと言われています。
ただ自分の人生を振りかえって、自分は一度も映画批評家になったことはなかった。映画の裏方、技術畑を進んできましたから。だからこそわたしはこの歳になってはじめて、自分の映画に対する率直な気持ち、それを映画に落とし込む時が来たのだと思ったのです。
映画監督は天職だったのか
――天職と呼べるような仕事を見つけられる人はしあわせだと思うのですが、デプレシャン監督にとって映画監督という職業は天職だったと思いますか?
私はフランスのそれほど豊かでない田舎の出身なんですけど、少年時代は非常にメランコリック(物憂げな)な少年でした。映画監督になるなんてことが実現できるわけがない、自分には到底起こりえないことだとずっと思っていたんです。
私は特別何かすごく質の高い教育を受けたわけでもない。ただ人生の教科書として、愛なども含めてすべてを映画から学びました。だから今、私は映画監督という仕事を天職だと感じています。
――映画監督になる近道は批評家になることだとおっしゃっていましたが、デプレシャン監督自身は自分のキャリアを振り返り、まわり道だと感じることはなかったでしょうか?
確かにまわり道をしたな、という感覚はあります。映画学校を卒業した後も、実際に映画の職に就くまでには非常に時間がかかりましたからね。その期間は友人の映画の撮影の手伝いや、助手などをしていました。
その一方で、私は数多くの映画を見てきたのですが、ある日突然、これで映画を撮る準備ができたと思ったんです。そして最初の映画となる『二十歳の死』を監督することになりました。
――傍から見るとデプレシャン監督はデビュー作から映画賞などで注目され、順調なキャリアを紡いできたように見えていたので、そのコメントは少し意外でした。
映画をつくるということは、大前提として決して楽な仕事ではないんです。とにかく自分のありとあらゆるものを総動員しなければ映画はつくることもできない。だからそういうタイミングだったんだと思います。
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