フランス映画の巨匠が撮る「映画への深い愛」 デプレシャン監督に取材、仕事観などを聞いた

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――監督の映画好きな気持ちがとても伝わる映画でした。

フランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、エリック・ロメールなどもそうでしたが、フランスでは昔から、映画監督になる最大の近道は映画批評家になることだと言われています。

ただ自分の人生を振りかえって、自分は一度も映画批評家になったことはなかった。映画の裏方、技術畑を進んできましたから。だからこそわたしはこの歳になってはじめて、自分の映画に対する率直な気持ち、それを映画に落とし込む時が来たのだと思ったのです。

映画監督は天職だったのか

――天職と呼べるような仕事を見つけられる人はしあわせだと思うのですが、デプレシャン監督にとって映画監督という職業は天職だったと思いますか?

私はフランスのそれほど豊かでない田舎の出身なんですけど、少年時代は非常にメランコリック(物憂げな)な少年でした。映画監督になるなんてことが実現できるわけがない、自分には到底起こりえないことだとずっと思っていたんです。

私は特別何かすごく質の高い教育を受けたわけでもない。ただ人生の教科書として、愛なども含めてすべてを映画から学びました。だから今、私は映画監督という仕事を天職だと感じています。

映画を愛する君へ デプレシャン フランス
アルノー・デプレシャン 1960年、フランス北部の街ルーべ生まれ。パリ第3大学で映画を学んだのち国立映画学校ラ・フェミスで演出を学ぶ。卒業後の1991年、『二十歳の死』で第3回プルミエ・プラン映画祭ヨーロッパ短編映画脚本賞とジャン・ヴィゴ賞を受賞し、一気に注目を浴びる。1992年、『魂を救え!』で、第18回セザール賞 新人監督賞と最優秀脚本賞、第45回カンヌ国際映画祭に選出。1996年に、『そして僕は恋をする』で世界的な人気を獲得し、マチュー・アマルリックが第22回セザール賞 有望若手男優賞に輝いた。2004年、『キングス&クイーン』で第61回ヴェネチア映画祭 コンペティション部門に選出。主役を演じたマチュー・アマルリックに第30回セザール賞 最優秀男優賞をもたらした。2008年、『クリスマス・ストーリー』で第61回カンヌ映画祭に正式出品。第35回セザール賞で監督賞を含む9部門にノミネート。2022年、『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』で第75回カンヌ国際映画祭に選出。現在もフランス映画界を代表する映画監督として活躍中(画像:© 2024 CG Cinéma / Scala Films / Arte France Cinéma / Hill Valle )

――映画監督になる近道は批評家になることだとおっしゃっていましたが、デプレシャン監督自身は自分のキャリアを振り返り、まわり道だと感じることはなかったでしょうか?

確かにまわり道をしたな、という感覚はあります。映画学校を卒業した後も、実際に映画の職に就くまでには非常に時間がかかりましたからね。その期間は友人の映画の撮影の手伝いや、助手などをしていました。

その一方で、私は数多くの映画を見てきたのですが、ある日突然、これで映画を撮る準備ができたと思ったんです。そして最初の映画となる『二十歳の死』を監督することになりました。

――傍から見るとデプレシャン監督はデビュー作から映画賞などで注目され、順調なキャリアを紡いできたように見えていたので、そのコメントは少し意外でした。

映画をつくるということは、大前提として決して楽な仕事ではないんです。とにかく自分のありとあらゆるものを総動員しなければ映画はつくることもできない。だからそういうタイミングだったんだと思います。

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