真冬に本領発揮する、「津軽鉄道」の名物車両たち ストーブ列車にラッセル車…、厳寒期の風物詩

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ベアリングに取り替えては?との提案も出るのだが、ベアリングを嵌めるために軸穴の口径を拡げ、それで万が一にも失敗したら、もはや二度と元には戻せない。機関車自体がなくなってしまう。そのリスクを考えると決断には至れないと言う。

それほど大事に考える理由として、排雪運転がある。通常ならば気動車2両の牽引でも機関車との差異はないが、ひとたび雪が積もると、低速時の粘りあるトルクが優位を発揮する。JRからDE10形を斡旋されたこともある。

だが、現在のDD352よりも重く、津軽鉄道の線路、とくに鉄橋の耐荷重や、牽引力や速度面の折り合いがつかない。要はハイスペックすぎて話が流れた。もっとも、さらに切実な話として譲渡額の面もあったようだ。

津軽五所川原駅に隣接する車両基地庫内でDD352が点検中 。“ご老体” のため最近は出番がかなり減っている(写真:久保田 敦)

出番が減ったラッセル車に稀少な2軸貨車も

津軽五所川原駅構内には、ほかにも多彩な車両が留置されている。きびしい台所事情を語るものだが「放置」と言ってよいものもある。まずは今の季節に最も目に留まるのはラッセル車キ101。昭和ひと桁1933年の国鉄大宮工場製で、1968年に津軽鉄道に来た。冬の守護神と呼びたいところだが、現在の主力はロータリーヘッドを備えるモーターカーとのこと。キ101を予備扱いにするのは、一つには前述のとおり虎の子のDDを大事にしている点がある。押しが強い利点はあるものの、それだけ大きな負荷がかかるのだ。それともう一つ、近年ならではの事情が大きい。

ラッセル車による除雪は、高速で雪を蹴散らして走ってこそ効果がある。だが、分岐ポイントや踏切板、線路脇の各種標識、構造物にぶつからぬよう(それらは雪に埋もれて見えない)ウイングやフランジャーを絶妙のタイミングで操作しつつの運転は、線路と運転を完全に熟知した者でないとできない。その熟練の経験者がいなくなったのだ。定年後も指導者として乗ってもらっていたが、それも困難になってしまった。

ちなみに舘山氏は本気の除雪運転を最後に経験した1人だそう。ラッセル車が跳ね飛ばして巻き上げる雪煙に、後ろの機関車からは信号などまったく見えず、前方注視の一切はラッセル車乗務員に任せて遮二無二押せ、とベテランに指導されながらの度胸一本の運転だったと語る。

キ101の後ろに元西武の旧型電車が転じたナハフ1200形客車。1965年に津軽鉄道に入り、高校生があふれて通勤利用もまだ多かった頃、ロングシートの収容力を活かして輸送力を確保した車両だ。乗務員室がないので、車掌は片隅にパイプ椅子を持ち込んで乗ったとか。2両の車籍が残るが、実態は錆びつき傷んで、外板の随所に穴が開いている。修復保存の話もあったが、今や、やるとなれば車体をまるごと新製するに等しい状態だ。

その横に並んでいるのは、現役のストーブ客車と一緒に津軽に入った国鉄オハ463。先代の17m級客車(1両は鉄道博物館で保存展示)の後継で3両が導入されたうち、2両に部品を供給するため休車となっている。車籍は残る。

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