真冬に本領発揮する、「津軽鉄道」の名物車両たち ストーブ列車にラッセル車…、厳寒期の風物詩

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津軽五所川原駅は、JRの五所川原駅の脇に一歩引いて佇んでいるが、JR駅舎に対して何とも古びた木造モルタルで味があると言うか何というか。目の前の本社ともども昭和30年代の世界だ。中は木枠の小さな出札窓口に津軽鉄道や地域のグッズをところ狭しと並べた売店、そして手縫いの座布団を載せたベンチの前で石油ストーブが燃えている。

昭和レトロの姿を見せる津軽鉄道本社と津軽五所川原駅。この右側にJRの五所川原駅がある(写真:久保田 敦)

見上げる幕板には立佞武多の制作法で作られた(本物よりずっと小さな)張り子のお面や、津軽鉄道を支援する人や法人の名を刻んだ名誉駅員の金属プレートが並ぶ。大きな盤面に筆文字で書かれた発車時刻表が郷愁を誘う。

「津軽の温かい人情が燃えるレトロ車ストーブ列車運転 12月1日より翌年3月末日」と掲げている。

9時35分発151列車の次は10時45分発の5列車まで間があるので人の姿はなかったが、その時間に訪れたのは車庫で機関車の整備を見るためだ。舘山広一運輸課長に帯同させてもらう。改札口を入るとJR五能線の1番のりばで、そこから跨線橋に上がって津軽鉄道ホームに向かう。出入口は別だが中に入ると一緒という造りが、弘南鉄道大鰐線の大鰐駅(JRは大鰐温泉駅)ともども残っている。JR側よりも細い跨線橋を下りると島式ホームで、それに隣接して小さな車両基地がある。留置車両の脇をすり抜けて検修庫へ行くと、茶色い凸型ディーゼル機のDD352が佇んでいた。

0℃の車庫で凸型ディーゼル機を整備

検修庫は木造板張りで、暖房はない。その日は0℃程度の「あたたかさ」だったが、マイナス7、マイナス8℃と下がっても検修係はマウンテンパーカーの作業着に軍手1枚で作業に臨む。行っていたのは、ロッド摺動部への注油であった。

DD352は昭和34年すなわち1959年製造と標記があり、御年65歳。僚機DD351(1958年製)は車籍を残すが部品取り用に休車。現役はDD352だけで、新部品の確保がむずかしいので“虎の子”のストーブ列車牽引用となっている。しかし根本的に高経年のため、近年はストーブ列車も気動車で牽引するスタイルに変更し、なるべく出番を減らして大事に使っているという。機関車が先頭に立つ本来の姿は週末を主とし、平日だった訪問日は稼働しなかった。一般観光客は気に留めなかろうが、鉄道ファンにとっては古参の凸型機関車に旧型客車を連結した姿こそ津軽鉄道のストーブ列車である。

この機関車の特徴でありメンテナンス上の最大のポイントは、蒸気機関車と同じ構造の動輪同士を結ぶロッドである。エンジンは重検査のつど新品同様に整備されるので、今のところ問題なしだそう。しかし、メタル支持のロッドは少しでも傷や変形があると、油膜で円滑を保つ摺動部が発熱し、台車をバラす調整と修理が求められる。無理を続ければ致命傷になる。

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