"伝説"の国際ボランティア八木沢克昌さんの一生 アジアの難民・貧困家庭の教育支援に献身

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東南アジア最大級のスラム・クロントイ地区に30年以上、居を構えていた。八木沢さんのおかげでバンコク中心部に広がるこのスラムを歩き、住民らから話を聞くことができた。

記者やジャーナリストに加え、スタディーツアーやボランティアの学生ら、日本大使館や日本企業関係者らを案内していた。その数は千人の単位に上るだろう。

これらの人々のほとんどは、八木沢さんがいなければ、経済発展する首都の足元に広がる貧困の現場に足を踏み入れることはなかったであろう。

大活躍の傍らコラムも多数執筆

八木沢さんはいつもズームレンズをつけたニコンの一眼レフを首から下げていた。2000年代には邦字紙『バンコク週報』で、2010年代には『読売新聞』国際版ヨミサットで週1回のコラムを持っており、そのコラム用の写真を撮るためだった。『朝日新聞』のグローブにも執筆していた。

難民キャンプでの八木沢さん(右、写真・柴田直治)

本業のNGO活動や多くの人たちの道案内だけでも忙しいのに、毎週かなりの行数の連載を速筆していたのには恐れ入った。テーマの多くは現場からの報告だ。もの書きを本業とする当方が恥じ入るほどの執筆のスピードだった。

特筆すべきは、キャンプに住む難民から政府高官までアジアの多くの国に張りめぐらせた人脈の広さと深さだ。

ラオスの歌姫と言われるアレクサンドラ・ブンスアイさんや、中央アジアのカザフスタンで臨時代理大使を務めるオラタイ・プーブンラープ・グナシーランさんらを紹介していただき、食事をご一緒したことも忘れ難い思い出だ。スラム出身のオラタイさんは、SVAが開設した図書館との出合いがきっかけでタイ外務省の外交官となった方だ。

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