「まるで韓流ドラマ」戒厳令で出た名せりふの数々 国会議長、与党代表……国家機密の軍人まで登場

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戒厳解除要求決議案が全員一致で可決されるや、「国民のみなさん、安心してください。国会は国民とともに民主主義を守ります。国会内に入っている軍警は直ちに国会の外に出てください。以上です」と述べ、議場は大きな拍手に包まれた。

ただ、韓国社会が最も評価するのは、尹大統領の弾劾訴追案が初めて出された12月7日夜の呼びかけだろう。

最大野党「共に民主党」などが提出した法案の採決にあたり、与党「国民の力」の所属議員らの大半は議場を去った。

与党議員の造反で法案は可決されるのではないかと注目されたが、100人以上(議員定数は300)の与党議員が投票しないと法案は不成立となる。

野党議員らが投票を済ませた後も、禹議長は与党議員らに訴え続けた。

「不当な(非常戒厳を)処理する過程で、投票に参加しないという姿を、国民が、世界が、歴史がどのように見ると思いますか? 歴史の評価が怖くないのですか?」

結果的に弾劾訴追案が可決された12月14日の採決前には、議事堂の議員らにこう語って投票を促した。

「大韓民国は今、路上にある。しかし、道はつねに国民の中にあります。それが大韓民国の歴史です。議員たちが持つ投票用紙の重さはいつにも増して重い。それは歴史の重みであり、民主主義の重みです」

「裏切り者」か、保守の英雄か

与党の代表ながら、尹大統領が出した「非常戒厳」を厳しく批判し続けた韓東勲(ハン・ドンフン)氏も、節目節目で名コメントを残した。

とりわけ2024年12月16日、国会で開いた記者会見での言葉には重みがあった。この会見で韓氏は、弾劾訴追案が可決された責任をとる形で辞任を表明した。

韓氏は自分たちが支えるべき尹大統領に弓を引いたとして「裏切り者」のレッテルを貼られ、韓国南東部の大邱(テグ)や釜山(プサン)、慶尚(キョンサン)道といった昔ながらの強固な保守地盤では、すっかり人気がない。

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