寺田さんは、医師の父、病院事務の仕事をしている母のもと、三重県伊勢市で生まれ育ちました。
小さいころはゲームをしているか、外で遊んでいるかで、活発な子どもだったようです。野球を始めたのは小学校3年生のときで、周囲の友達が野球チームに入ろうとしていたことがきっかけでした。
「最初はサッカーをやろうと思っていたのですが、通っていた学校にサッカーチームがなかったので、周囲の友達と仲良くしようと思って軟式の少年野球チームに入りました。おかげで、そこからずっと野球に携わらせていただいています」
小学校時代には塾にも通わせてもらいましたが、勉強をすることよりも、塾のあとに友達とプロレス遊びやキャッチボールをすることのほうが楽しかったと振り返る寺田さん。
塾に通っていたために成績はよく、地元の公立中学校に入ってからは、同級生150人中10番くらいの成績をキープしていました。しかし、中学に入った段階で野球を続けるかどうか迷うようになり、テニス部に入ることも検討しました。
「野球を続けたものの、中学では最後までレギュラーにはなれませんでした。当時はどちらかと言えば勉強のほうが得意で、中学2年生から本格的に塾に通って、高校受験の勉強をしていました」
頑張って勉強を続けた甲斐もあり、寺田さんは地元の進学校である三重県立伊勢高等学校に進学します。
高校ではずっと補欠だった
高校に進学した寺田さんは、進学先でも野球を続けますが、そこでもレギュラーにはなれず「補欠だった」と当時を振り返ります。
「部活以外の時間は『ポケットモンスター金・銀』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』をしたり、学校近くの伊勢神宮のすぐ脇に流れる五十鈴川で泳いだりしていました。食べ歩きや、イオンにあるメダルゲームで遊んだりもして、楽しんでいましたね」
朝8時に起きて9時に学校に到着し、16時〜19時半まで部活をしてから帰って寝る生活を過ごした寺田さん。部活と遊びに注力していたためか、成績も学年最下位まで落ちてしまいました。
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