「2浪筑波→プロ野球」今は医者を目指す彼の半生 元横浜DeNAベイスターズ寺田光輝さんに聞いた

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将来の夢も特になく、普通の野球少年として日々の生活を送っていた寺田さんでしたが、部活を終えるタイミングで、初めて「プロ野球選手になりたい」という目標ができます。

それは、夏の最後の大会で、打たれて負けたことがきっかけでした。

「高校最後の夏の県大会で、自分のせいで負けてしまったんです。県大会の4回戦(3試合目)で、エースの子が肩の怪我を我慢しながら投げて、相手を抑えていたのですが、投手が自分に変わった途端に7点ほど取られてしまいました。

悔しくて、仲間にも合わせる顔がなかったのですが、一緒に過ごした仲間たちに『(高校時代に)寺田と野球をしていてよかった』と将来思ってもらうためには、自分がプロ野球選手になるしかないと考えるようになりました」

ここで寺田さんは初めてプロ野球選手になるという未来を明確に意識し始めます。大学に入って野球を続けたいと考えるようになり、学年最下位から受験勉強を開始しました。

「大学に行きたいという目標が明確になって、毎日帰ってから22時まで勉強するようになりました。休日には10時間は勉強していましたね。8月に最初に受けた模試は5教科7科目で28%。勉強って難しいなと思いましたが、受けるたびにどんどん成績が上がって、センター試験では74%取れました」

この成績を見て、前期で大阪市立大学生活科学部、後期で三重大学教育学部保健体育学科、早稲田大学スポーツ科学部のセンター試験利用入試(センター試験+競技歴方式)を受けた寺田さん。

大阪市立大学と早稲田大学には不合格だったものの、三重大学に合格し、大学で野球を続けるという当初の目標は達成することができました。

医学部を目指して受験勉強開始

こうして三重大学に進学したものの、ここから大学を休学し、まさかの浪人生活が始まります。その理由は、「プロ野球選手になるのは無理だから、1回自分の進路を考えようと思ったこと」がきっかけでした。

「三重大の野球部に入ったのですが、レベルが高くてついていけないと思いました。1カ月くらいでほぼ学校に行かなくなってしまいましたね。『医者になれ』と言われたことはないのですが、父が医師ですし、なんとなく医者にならないといけないのかなと考えて、8月に休学して医学部受験のために勉強する生活を始めました」

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