「2浪筑波→プロ野球」今は医者を目指す彼の半生 元横浜DeNAベイスターズ寺田光輝さんに聞いた

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寺田さんは部活には8月まで出ていたものの、ずるずる中途半端に続けることもよくないと考えて、休学した三重大学の医学部を目指して浪人を決意します。

アルバイトしていた東進衛星予備校の空き時間に勉強をさせてもらいつつ、1日10時間くらいの勉強を重ねたものの、センター試験では82%。前年度よりは上がったものの、医学部受験生として合格するには難しい結果に終わります。

結局この年は三重大学の医学部の前期入試、後期入試を受けたものの、結果は振るわず2浪目に突入することになります。

「前期は散々な結果でした。もともと化学が苦手だったので、化学が必要ない後期試験に最初から懸けていたのですが、センター試験のパーセンテージが足りず、(2段階選抜で)足切りにあってしまいました。センター試験の結果がもうあと3%あれば、合格できていただろうと思います」

寺田さんはこの落ちた理由を「勉強時間の不足」と振り返ります。

「シンプルに学力不足でした。本気でもう1回勉強し直したのが8〜9月なので、自分の能力では足りなかったですね」

後輩とのキャッチボールが人生変える

こうして2浪目に突入した寺田さん。しかし、1浪目に頑張りすぎたために、春に一度模試を受けてからは気持ちが持ち直せなくなりました。

「(去年やりきった感覚があり)勉強はもうやりたくないなと思うようになりました。それでも、何もしていないのはまずいと思ったので、6月に東進をやめて、家庭教師やスシローの店員、地元のスーパーで惣菜を作るアルバイトを始めて、月15万円ほど稼ぐようになりました。

ただ、ずっとフリーター生活ではよくないなとも思っていて、自分が『今、何をしたいか』を考えたらやっぱり野球だと気づいたんです。野球に本気で向き合えるのは若いうちだけだと思ったので、アルバイトしながらトレーニングをしっかりやろうと思いました」

野球をやりたいという、自ら蓋をしていた気持ちがどんどん強くなっていった寺田さん。誘ってもらった野球チームで草野球をしながらトレーニングを続けていくうちに、7月には自分の行きたい大学が固まりました。

それは伊勢高校の野球部から筑波大学硬式野球部に進んだ後輩が帰省してきたタイミングで、一緒にキャッチボールをしたことがきっかけでした。

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