「居酒屋で隣に座る」くらいの距離が重要な訳 若者にも広がる「誰かとつながりたい」感覚

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デトロイトもそうです。フォードが自動車工場を作った当時、自動車は、今の生成AIのような新しい技術で、興味を持った人たちが全米から集まりました。

人と人が集まり、交わることは、新しいビジネスのアイデアを生むためにとても大事なのです。

最近のコワーキングスペースも、その点を狙って作られています。単に個人が作業する場所としてだけではなく、カフェを併設していますから、誰かと誰かが出会って、何かが生まれるということが起きるのです。

コロナ禍では「ソーシャルディスタンス」という言葉をよく聞きました。もとは、社会学者のエドワード・ホールが『かくれた次元』で使った、対人関係における4つの距離から来ています。

  • 演説する人が見えるぐらいの「公共距離」
  • 2mのソーシャルディスタンスと言われた「社会距離」
  • 居酒屋で隣に座っているぐらいの「個体距離」
  • 家族とか恋人など肌が密着する「密接距離」

ビジネス的なやり取りをするには、社会距離で十分なのですが、2mの距離があると、人は盛り上がりません。

やはり、30~50cmくらいの個体距離で交流することが、実は大事なのです。

抑圧的だった昭和の時代の共同体

会社の飲み会が嫌だという話はよく聞きますが、常にバランスの問題ではないかと思います。嫌がるのは30代で、20代になると、人と会わなさすぎてみんな寂しがっていますよ。

コロナの間に学校を卒業して、就職してからもリモート。会社の研修もまともに直接教わっていません。「ホワイトすぎること」への不満が募りつつあるという感覚も出ています。

ダンバー数的なコミュニティに対する希望は、振り幅があって、常に動くということも言えるでしょう。

昭和の世代にとっては、共同体と言えば、鬱陶しいぐらいに抑圧するものでした。田舎の親戚が嫌で東京へ逃げてきたという人もたくさんいます。ですから、「共同体」と聞いた途端、「またあんなことになったら嫌だな」と思うわけです。

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