「虎に翼」同調圧力の強い現代日本へ投じた一石 見る人それぞれの「私のための物語」だった
物言う他者を「スンッ」とさせたい心が、自分たちのなかにもある。誰しもが大なり小なり「かくあるべき」という幻想を持っていて、そこから逸脱した者を糾弾する。
2024年になった今も、私たちが生きづらさに苦しめられ続けているのは、社会の構造だけが理由ではなく、自分と違う他者を認められない狭量さにあることを「虎に翼」は炙り出したのだった。
当たり前への爽快なアンチテーゼ
ただ、「虎に翼」は決して誰かを断罪するためのドラマではなかった。私たちは無自覚のうちに誰かを差別したり、善意のつもりで他者から自由や権利を取り上げたりする。でも、それらに気づくことができれば、行動は変わる。
後半に入った「虎に翼」は、これまで見えていなかったもの/見ようとしなかったものを積極的に浮かび上がらせることを試みていた。ゲイの轟(戸塚純貴)やその恋人の遠藤(和田正人)、性別適合手術を受けた山田(中村中)がその一例だ。
異性愛が一般的とされる世の中で、異性愛者はつい自分たちの物差しで物事を見てしまう。けれど、その物差しが誰しもに当てはまるものではないと気づけるだけで、世界の見え方が変わってくる。
先人たちの努力によって、自分にとっては歩きやすく舗装された道が、別の誰かにとってはまだまだ険しい獣道かもしれない。ならば、今度は自分が誰かのために道が歩きやすくなるよう一緒に声を上げていきたい。連帯から、連鎖へ。「虎に翼」が広げたのは、共感と支援の輪でもあった。
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