沼津餃子って?地元民が熱狂する「中央亭」の謎 「クタッとした餃子」から感じた自信と誇り

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少量のからし油を餃子に直接かけて食べてみると、辛味よりもまろやかな酸味がこれまた肉々しい餡とよく合う。いや、合いすぎる。そもそも豚肉にからしは鴨肉にネギと同様に欠かせないものなので合わないわけがない。

筆者の食べっぷりを目の当たりにした友田さんは、「ご飯をお持ちしましょうか?」とおっしゃったが、丁重にお断りした。この餃子はご飯やお酒にもぴったりだとは思うが、餃子だけを堪能したかったのだ。用意してくださった8個の餃子はあっという間に胃袋の中へと消えた。いやー、本当においしかった! 開店前から行列ができるのも、テイクアウトの翌日受け取りも納得だ。

焼いてから茹でるのが「中央亭」の餃子

厨房ではまだ店員さんが餃子を焼いていた。フライパンいっぱいに並んだ餃子は見るからにおいしそう。今さっき食べたばかりなのに、また食べたくなる。きつね色の焦げ目がついたところで餃子を箸でひっくり返して完成……ではなかった。

焦げ目がつくまで焼いてからお湯を流し込んで餃子を茹でるのが「中央亭」のスタイル(筆者撮影)

なんと、焼き上がった餃子が並ぶフライパンにお湯を注いでいるではないか! それも蒸し焼きにするレベルではなくて、餃子の高さくらいまでお湯をなみなみと流し込み、茹でているのである。焼き上げてから茹でる。これが「中央亭」の餃子なのだ。なるほど、これなら時間が経ってもおいしく食べられるに違いない。

この調理法はいつ、そして誰が考案したのだろう。それが気になって仕方がない。

「店の創業者である祖父母が考えたのは間違いありません。しかし、なぜ焼いてから茹でるのかは私にもわからないのです」(友田さん)

友田さんによると、「中央亭」の創業は1947年。祖父母が沼津駅前の仲見世通りのビルの一角を間借りしてはじめたカウンター8席程度の小さな中華料理店がルーツだという。

「店を開店させる前は戦後のヤミ市で食べ物を売っていたようです。祖父は器用な人でラーメンの麺も自ら打っていたと聞きました。おそらく餃子も、食べるものもない時代だったから、お腹いっぱいになってほしいという思いから、この大きさになったのだと思います。ただ、メニューを餃子とライスだけにしたのがいつのことなのかもわかりません」

中央亭
「中央亭」の社長、友田美千代さん。東京の広告代理店で働いていたが、結婚を機に沼津へUターン。父親から「店を手伝ってほしい」と言われてパートとして働き始めた。その後、正社員となり2017年、社長に就任した(筆者撮影)

その後、父親が店を継いで、当時は沼津の中心街だった大手町に新たな店を構えた。店の周りは繁華街で、クラブやスナックのママさんが客に「中央亭の餃子はおいしい」と薦めてくれたり、店の近くにある会社の社長が仕事納めの日に社員全員にお土産として持たせてくれたりして、口コミでどんどん評判が広がっていった。

「沼津の人は地元意識が強くて、市外へ嫁いだり、転勤したりした方が帰省するたびに立ち寄ってくださいます。その方々が地元の知り合いにお土産にと買われて、食べた方が店に来てくださって、またどなたかにお土産として贈る。その繰り返しでした。今はSNSを見て県外や外国からも来られるお客様が多いですが、口コミに勝るものはないと思っています」(友田さん)

【11月9日10時55分追記】初出時、誤解を招く記述があったため、記事の一部を削除しました。お詫びして修正いたします。

永谷 正樹 フードライター、フォトグラファー

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ながや まさき / Masaki Nagaya

名古屋を拠点に活動するフードライター兼フォトグラファー。

地元目線による名古屋の食文化を全国発信することをライフワークとして、グルメ情報誌や月刊誌、週刊誌などに記事と写真を提供。

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