顧客価値を生むことができる人材、次世代のビジネスモデルを考えられる人材を生み出していきたい--近藤史朗・リコー社長
抗体反応は会社が健康な証拠
ここでリコーの事業について話したいと思います。創業当初はカメラや感光紙などを手掛けていましたが、その後、複写機やファクシミリなど、オフィス機器を主力製品として事業を展開してきました。
私自身は複写機の開発設計にかかわり、1990年代半ばごろから一気にそのデジタル化を進めました。合わせて欧米を中心とした有力事務機販売会社を買収し、グローバルな販売網を拡充しました。さらには、プリンティング事業領域の拡大を狙い、日立プリンティングソリューションズ社やIBM社のデジタル印刷機事業を買収し、プロダクションプリンタの開発・製造・販売機能を強化しました。
リコーは、デジタル化、複合機化、ネットワーク化、カラー化と次々に起こしてきた製品分野でのイノベーションと、グローバルな販路の開拓という両輪で業績を伸ばしてきました。このように、リコーは日本におけるバブル崩壊後の失われた10年に成長を果たすことができました。
しかし、大変厳しい業績となった時期もありました。91年ごろのことです。競争激化に伴い、複写機、ファクシミリ、プリンタそれぞれに商品ラインナップをそろえる必要があり、リソースの分散を招いてしまったのです。
そこで、CRP(コーポレート・リストラクチャリング・プログラム)と呼ばれる構造改革に取り組みました。この活動を通じて一気にデジタル化、グローバル化に挑戦し、その結果、他社との差別化を図ることができ、業績も拡大していきました。
私は、当時複写機の開発部門のトップとしてこのデジタル化、差別化、コスト削減などの陣頭指揮に当たっていました。
アナログ機からデジタル機への移行においては「複写機はアナログでいい。ファクシミリはファクシミリとして単独で売ればいい」などといった、いろいろな社内の抵抗もありました。
当時、複写機、プリンタ、スキャナー、ファクシミリのそれぞれが売れているのに、なぜ複合機として1台に機能をまとめる必要があるのかという疑問に根差す抵抗でした。さらに、どれか1つの機能が壊れたらすべての機能が使えなくなるのではないかという不安感に基づくものでもありました。
そういったさまざまな反応は会社が「健康」である証拠なのです。新たなイノベーションが起きつつあるということに気づいていないための発言だったと思います。私はそれを抗体反応と呼びました。体の抗体反応と同様、何か新しいことをやろうとすると「ノー」と言う人が出てくるのです。
しかし私は、そうした「反対の声」にも耳を傾けながら機能の複合化を進め、デジタル機のフルラインナップ化を図りました。そしてリコーはデジタル複写機のリーダーと言えるまでに成長することができたのです。以前のリコーは、たとえば、北米の複写機のマーケットでは市場占有率で5位か6位くらいの存在でした。
リコーの販売チャネル拡大はM&Aの歴史とも言えます。自前のグローバルな販売網を持っていないという弱みを補完するにはどうするべきなのか。競争が激化する中、内部成長だけでは到底間に合いません。時間を買うことが当時はM&Aの大きな狙いでした。
また、それ以外にも未取引であったお客様との関係構築、直売によるお客様接点力の強化、人的リソースの獲得などが挙げられます。