母親は昔で言うところの「お妾さん」で、母子2人で過ごす生活が寂しかったと明かす敏和さん。いわゆる遊び人でもない。20代で結婚をして賑やかな家庭を築いていてもおかしくない人物だが、大学在学中に人生を変える出来事が起きた。「本宅」で家族と過ごしながらも「妾宅」の生活費と学費は出してくれていた父親が亡くなり、母親も癌を患ってしまったのだ。
「父の家族と遺産を争うことはしたくありませんでした。僕は大学を中退。地元のホームセンターで働き始めました」
その頃、敏和さんは中学校時代の同級生と付き合っていた。美容部員の久美子さん(仮名)だ。人見知りだけれど2人のときはよく話す女性で、いずれは結婚するつもりだったと敏和さんは振り返る。しかし、勤務先のホームセンターが倒産するなどの不運が重なり、結婚話が出ないまま14年の歳月が流れた。
「僕の甲斐性がなかった、ということです。このままでは結婚には至らないよね、と彼女と話し合って別れたのが33歳のときでした。喧嘩したわけではないので、今でもたまに連絡を取り合っています。もちろん、友だちとして、です」
マッチングアプリの検索条件は「子どもが欲しい人」
久美子さんと別れた後も、「彼女は絶え間なくいた」と明かす敏和さん。10代の頃のようにモテモテだったわけではない。寂しがりであることを自覚している敏和さんは、マッチングアプリなどで自分から声をかけ、ちゃんと向き合ってくれる女性を好きになる傾向があるようだ。その一人が雅美さんだった。
「僕の検索条件は東京在住の年下で、子どもが欲しい人、ぐらいです。奥さんとは会ったときから『結婚するならこの人かもなー』と感じました。僕はおとなしい女性が好きなのですが、奥さんはちょっと違って、愛嬌があって明るいタイプ。初対面でも話していてずっと笑っていました」
東北出身の雅美さんは高校卒業後に上京。すぐに結婚して子どもにも恵まれたが、夫のDVに耐える日々が続いた。
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