高校2年間で300万円「伊藤蘭」に貢いだ彼の半生 進学も、就職も動かされ…63歳の今も熱烈応援!

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「星稜高校に入ったら同じクラスでしかも席がすぐ近くに、僕と同じく少し前に金沢公演を見た大ファンが2人いたのが大きかった。一緒に追っかけをはじめ、高1の夏から高2の終わりの後楽園のファイナルライブまでの間に100公演は行きました。

東京・関西・広島くらいまでなら普通に追っかけていましたよ。特に夏休みは『サマージャック』と銘打って、コンサートが毎日のように、全国のどこかであるんです。だから必死でついていきました。3人はたまに自分が今どこにいるのかわからなくなったぐらいだったと、解散後のインタビュー記事に書いてありましたね」

2年間で100公演の追っかけは、高校生の小遣いではとうていなしえません。そのため放課後や休日などはひたすらアルバイトにいそしみました。魚屋の配達、工事現場の肉体労働、居酒屋店内の排気ダクトの掃除などで軍資金をつくるのです。

「肉体的にはたいへんでしたが、つらいとはちっとも思わなかったですね。眠さ対策として授業中はずっと寝ていましたし、勉強はまったくやらなかったなあ(笑)」

コンサートがない日はアルバイトで汗をかき、疲れた身体は授業中の居眠りで癒やしていた石黒さん。とはいえ、アルバイトだけでチケット代・宿泊費・交通費、紙テープ代、レコード代などすべてをまかなうのはさすがに無理でした。

「お金がないですから、とにかく節約しました。一緒に追っかけしていた星稜高校の仲間と、ホテルのシングルルームにこっそり6人で泊まったり、駅で野宿したり。電車も鈍行の乗り継ぎが基本。今だから言えますが、集団でキセルをやった経験もありました」

キセルが発覚し、仲間の一人が親に金を借りに行っているあいだ、駅員の部屋に半日拘束されたこともあったのだそうです。

チケットより高くついた「紙テープ」の代金

お金がかかるといえば、紙テープ代も馬鹿になりません。現在はほぼすべてのライブで禁止されていますが、当時はアイドルへ向けて紙テープを投げる量が忠誠心の証しでもあったのです。

「紙テープは1000本ずつ買ってました。1000本1箱で3万円。1日で100本ぐらいは投げるので、すぐなくなるんですよ。チケット代が1500〜2500円でしたから紙テープ代のほうが高かった。

とはいえ、これでもずいぶん抑えたんです。当時、紙テープは文房具屋さんで1つ50円でした。高ぇ、これじゃもたないと思い、電話帳で金沢市内の問屋さんを見つけて、電話で交渉したんです。それで『1000本単位なら売ってあげる』と言われて、1本30円で入手できました」

キャンディーズを、そしてランを応援するために資材問屋に電話で交渉する高校生。そんな涙ぐましいシーンがきっと全国のさまざまな場所で展開していたのでしょう。1978年(昭和53年)4月4日の解散コンサート『ファイナルカーニバル』で、会場である後楽園球場に飛び交った紙テープの量は4tトラック250台分に及んだのだそうです。

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