高校2年間で300万円「伊藤蘭」に貢いだ彼の半生 進学も、就職も動かされ…63歳の今も熱烈応援!

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「僕は“ラン活”と呼んでいるのですが、今回のコンサートツアーも、可能な限り追っかけるつもりです。51年前にキャンディーズの彼女を知った日から、僕にとってすでにアイドルという捉え方ではありませんでした。もっと神々しい、聖域にいる女神のような存在だったんです。そんな彼女の歌手活動を応援することは、僕の使命だと思っています」

右から2番目が石黒さん。全ラン連の活動にて(本人提供)

人生の大半を伊藤蘭に捧げ、お金と時間を貢ぎ続けてきた石黒さん。一人のアイドルが、どれだけファンの人生を変えてしまうのかを深掘りしてみました。

『8時だョ!全員集合』で初めて見たランに夢中になる

石黒さんは石川県の金沢市出身。「伊藤蘭の存在を知ったのはいつか」と訊いたところ、石黒さんは「1973年4月7日の土曜日」とピシッと即答しました。ザ・ドリフターズの人気番組『8時だョ!全員集合』(TBS)にこの日初めて出たキャンディーズを観て、彼女にハートを奪われたのです。

「中学校の入学式の夜、家で毎週観ていた『全員集合』に、キャンディーズが初めて出ました。まだ歌手デビューしていないので誰も知らない存在と言っていい。

その後は、コントでドリフと絡んだり、体操コーナーででんぐり返りをしたり、聖歌隊で歌ったりして番組の顔にもなっていきますが、最初はマスコットガール的な出方でした。

番組はオープニングで全員がステージに横並びになるのですが、この最初の回の時、端に位置した3人の中で、向かって左側にいる女の子が好みのツボすぎて、目が離せなくなってしまったんです」

左側にいる女の子、それがラン(伊藤蘭)でした。当時のセンターポジションは最年少のスー(故・田中好子)です。ランはサイドでした。そして63歳になってなおランに声援を送り続ける石黒さんの人生は、この「危い土曜日」から始まったのです。

「『8時だョ!全員集合』はのちに生放送の会場へも観に行きました。僕が『ランちゃんランちゃんランちゃんランちゃん……』という機関銃爆音コールしたら、オンエア前の時間で、いかりや長介さんから『ランちゃんばっかりじゃなくスーちゃんもミキちゃんも言わないとダメだよ〜』とイジられて会場大ウケってことも楽しい思い出です」

次ページ『年下の男の子』で大ブレイク
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事