今なお残る「富士重工製の鉄道車両」一族の系譜 2003年生産終了、独創的技術生かした気動車も
しかしながら2年後、サンフランシスコ講和条約が発効されたことで、日本の主権回復が認められるとともに、航空機の研究や製造が解禁になった。
これを受けて、富士産業から分割した12社のうち、宇都宮車両を含めた5社が出資し、1953年に航空機製造を目的として富士重工業が誕生。2年後に出資した5社を富士重工業が吸収する形で、現在のスバルに続く組織ができあがった。
「スバル360」の誕生
乗用車の研究開発はそれ以前から、伊勢崎工場で始まっていたが、同じ1955年に当時の通商産業省が出した「国民車育成要綱案」に対応する形で、目標を軽自動車に定めることになった。
伊勢崎のバスづくりで培ったモノコックボディと、東京都の三鷹工場で作っていたスクーター用エンジンの技術を合わせる形で、1958年に同社初の乗用車「スバル360」を発表。これが大ヒットしたことで、富士重工業は自動車への比重を高めていく。
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