スペインで人気ラーメン屋経営する日本人の素顔 「金もコネもない」30代男性なぜ成功できた?

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1987年3月、沖縄・宮古島出身の両親のもとに東京の府中で生まれた下地さんは、兄と妹に挟まれ、自由気ままに育った。

これといった夢はなかったが、漠然と将来は海外に住みたい、と思っていた。高校を卒業し、父の建設会社で働いた。バックパッカーをしていたら海外に住めるかもしれないと思い、お金を貯めては1カ月から3カ月休みをとり、ヨーロッパを中心に放浪した。

ひとり旅を続け、人との繋がりが雪だるま式に増えてくると、「これ、いけるな(海外に住めるな)」と、根拠のない自信が湧いた。

バルセロナへ行ったある年のこと。

ファッションに興味のあった下地さんは、旅仲間でもある小学校からの友達と共に、日本人が経営するセレクトショップに立ち寄った。そのお店は、パリコレブランドを取り扱っている人気店。沢尻エリカやユマ・サーマンなど有名人も訪れていた。

その日、お酒好きの下地さんは、オーナーと飲みにいき、連絡先を交換した。日本へ帰国して数カ月経ったある日、一通のメールが届く。セレクトショップのオーナーからだった。

「ビザ出すからバルセロナで働かない?」

日本から雇用する予定だった人物が失跡したため、下地さんに声をかけてきたのだという。うろ覚えながら、バルセロナで飲みにいった際、「海外で働きたいんです」と酔っ払いながら語った記憶がある。それを覚えていてくれたのだろう。オファーの理由は「辞めなさそうだから」。

23歳の下地さんは、考える間もなく「はい」と返信した。念願の海外移住が、思いがけず叶った瞬間だった。

2010年、バルセロナでの新しい生活が始まった。

飲みニケーションで見えた未来の自分

当時の月給は、日本の初任給の半分ほどで、休みはなし。

「若かったというのもあって、給料はあんまり気に留めていなかったです。別にいいやと思って。一晩20ユーロ(約3200円)くらいで飲める時代だったので、20ユーロ握りしめて料理人をやってた友達としょっちゅう飲みにいって。仲良くなった人たちと日本食パーティをしていました」

グエル公園から見た2012年のバルセロナの街(筆者撮影)

ここでもまた、芋づる式に飲み仲間が増えていった。誘われたらできるだけ断らずに行く。スペインで起業している人や日本では顔を合わせる機会もないような人とも飲み、普段聞けないような話を聞いた。色々な人の話を聞くなかで、またしても「これ、いけるな」と感じたという。

「何億円も稼いでる人の考え方などを聞いたときに、『こういう考えでこういう行動をしているんだ。なるほど』って。自分だったら逆にこの視点からさらに広く考えて、遠い視点から考えられるな、と想像ができたんです。30代で年収1000万円以上ほしいとか、そういうのは叶うな、と。だから20代は遊ぼうと思って飲んでました」

ここでもまた、「根拠のない自信」が湧いた。

「世の中の人って動かない人のほうが多いでしょ。そういった面では、行動するだけで勝てる可能性があるのかな、と思って。今思えば、アホなんですけどね」と苦笑する。

アパレル業界で10年働き32歳になった下地さんは、「起業」を脳裏に浮かべ、行動に移した。

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