令和を生きる「40代の男性」求められる"強い覚悟" 「老境の一歩手前」と見なされた時代は終わった
当時の一般的な定年は55歳でしたので、48歳の主人公は定年退職まであと7年の、いわば老境の一歩手前にいる頽齢期の男であるということです。
その後、時代とともに日本人の寿命も延び、「初老」という言葉に対する国民意識も変わりました。
NHK放送文化研究所が2010年に行った調査では、「初老という言い方は何歳くらいの人に対して使える言葉だと思いますか」との問いに対し、もっとも多かった答えが「60歳から」で42%を占めたそうです(2位が「50歳から」と「65歳から」でともに15%)。
それとともに寿命も延びました。厚労省が調べた平均寿命の年次推移をみると、昭和22(1947)年に50~54歳だった平均寿命は、令和4(2022)年には82~87歳となっています。日本人の寿命は75年で30年以上延びた計算になります。
この平均寿命が延びた背景には、医学の進歩や防疫対策の向上、公衆衛生の環境改善といったことが考えられるでしょう。
一方、「若く見える」というのはどういうことでしょうか。もちろん、老化の進み方には個人差がありますし、遺伝的な要素も大きいとは思いますが、社会制度や生活環境の変化も大きく関係しているように思えます。食生活の変化や、美容への関心の高まりも、大きな要因でしょう。
小津映画での「40代の未婚男」の描かれ方
明治や大正の人が貫禄を持って見える別の理由として、昔は早い年齢で結婚する人が多かったというのも要因ではないでしょうか。
明治や大正の頃といえば、女性はおそらく20歳前後、男性なら25歳くらいであれば多くが結婚をしていたようですし、20代で所帯を持って、社会的な責任が大きくなれば、若くても顔つきや立ち居振る舞いは自ずと変わってくるものです。
さらに20代で子が生まれ、50代で孫ができ、夫婦ともどもお爺ちゃん、お婆ちゃんという立場になれば、存在感も増して人によっては老けてくることでしょう。となれば貫禄がついてくるのも当然かもしれません。
翻って令和の現代では、晩婚化や未婚化の進展で男も女も30代で独身という人はちっとも珍しくありません。
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