──同時に地政学的な問題もあったようですね。
確かに、変貌する地政学的な問題があった。ポルトガル王室の肝いりで、喜望峰を回る航路をバスコ・ダ・ガマが開拓する。ベネチアの船でアジアに行くには途中で陸路を行く必要があった。新しい帆船ならいきなりアフリカ大陸を回り、東アジアのコショウや絹の買い付けができる。その発着地点はポルトガルのリスボンやスペインのカディスやパロスになり、ベネチアは従来の地図の中央ではなく、端っこに位置するのと同様になる。新興のポルトガル、スペインが発展しベネチアは凋落していく。
戦後日本の発展要因には、ソ連や中国に対する最前線という地政学的な位置が大いに関係した。米国を筆頭とする資本主義国の出先の位置として格好だったのだ。しかし、今や世界の主要地間をノンストップで行き来できるようになり、日本の中ソ近接は有利な地位ではなくなった。日本は、かつて中継地として繁栄し今やアラスカの寒村に戻ったアンカレッジのようになる可能性がある。米中、米ロの関係いかんで、日本の位置が世界的に見て大事かどうかはわからなくなってくる。
国はつねに安泰であるわけではない
──ベネチアは未婚率も高かったとも。
ベネチアは法律で本土(陸地)に土地を持ってはいけないと決めていた。ところが貴族は本土の貸家業で儲けるのがリスクも少ないと土地を買いだす。土地を持つと、子供が多ければ相続で争いになる。子供は少なくと、ベネチアでは16世紀でも結婚適齢男子の5割近くが結婚せず、18世紀には66%が未婚だった。最近の日本の20代、30代の婚姻率を見ると、16~18世紀のベネチアとうり二つなぐらい似ている。
たまたまカルタゴ、ベネチアと二つの国を紹介したが、それは日本が、その二つの国が弱体化し滅びたときの条件にあまりにぴったり当てはまるからだ。国はつねに安泰であるわけではないと気づいてほしいものだ。
2006年から12年まで、「地球千年紀行~先住民族の叡智に学ぶ~」と題するテレビ番組を作っていた。極端な表現を使えば、国家、国境はもちろんのこと、言葉、宗教さえ伝統的なものを廃された人たちの姿を放映した。世界70カ国に5億人ぐらいはそういう状態の人がいる。歴史は国家興亡の記録である事実を知ってもらいたかった。
──では、日本はどうしたら。
一言で言うと日本が「特異点」(シンギュラリティ)を越えたこと、つまり社会の構造が根底から変わってしまう産業革命のような節目を、多くの分野が1990年代前半には通過したことを自覚することだ。経済大国になることはあきらめて、世界の人々を魅了する魅力大国になるように精を出す。日本くらい外国の人があこがれる文化がいっぱいある国は少ない。それを日本の力にして文化大国になればいい。
たとえば最近になって和食が世界的なブームといわれているが、さかのぼると40年近く前に当時のフォード米国大統領が自国民の栄養改善に理想的と太鼓判を押してさえいる。
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