たまたまクーラー事業部の事業部長がやってきて、30分くらい報告をした。すると突然に、「きみ、ご苦労さんやったな。ところで……」と始まったのである。
「きみのところの工業、ラインのほうはどうかな」「工場の環境を少し変えてもいいかもしれんな」「こういうことに注意したらええな」
事業部長は、自分が報告してもいないにもかかわらず、松下の話がなぜ的確に出てくるのかと、だんだん青ざめてしまった。私が門まで見送ると、しきりにクビをかしげている。
「やっぱりうちの大将は、神様だねぇ。私が報告していないのに、お見通しなんだよ」
神様になるのは意外と簡単だなと愉快になった思い出がある。
尋ねられた人は松下に好意を持つ
さて、松下のそばで見ていると、私はあるひとつの法則に気がついた。尋ねられた人は松下に好意を持つのである。
威張って知識を見せつけるよりも、心を開いて尋ねるほうが、じつはずっと敬意を表される。しかも、自分が話を聞きたいのだという姿勢を見せれば、人はどんどん情報を持ってきてくれる。情報収集には、自ら足を運んで話を聞くということが大切だが、じっとしていても情報が集まってくるのなら、それに越したことはない。
はたで見ていると、松下はどんなときでも感心して話を聞いていた。「いい意見やなあ」「その話は面白いな」「きみの、その話はおおいに参考になるわ」という具合に、大いにほめるのである。
あるとき若者が『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』を読んでいたく感動し、感想文を書いてきた。ぜひこれを日本の政治に実行すべきだ、ついては松下さんに訴えたいことがあるというのである。
面白そうな青年だと思った私は、一度会わせたことがある。私はよく内々で、これはと思う人を幾人か松下に会わせたものだが、そのときの彼は熱意をこめて、このままでは日本は駄目になるとしゃべり続けた。青年の話の内容には、年長者の松下から見れば当然、若さゆえの先走りもあった。
しかし松下は、「あんた、若いんだから頑張ってくれや」「あんたみたいな人がいるかぎり、日本は大丈夫やで」「若い人たちがみな、あんたみたいだったらええね」としきりにほめた。
彼はたいへんに感激して帰っていった。
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