"タイパ時代"上司と部下が考える「ムダ」の違い ムダと勘違いされるコミュニケーションNo.1は

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にもかかわらず、いまだに多くの会社が「報告会議」を繰り返している。しかもリアルの会議室に集まって、である。

会議にかかるコストは、単に時間だけではない。その会議に参加するために前後のスケジュールを調整するコストが発生する。お客様との打ち合わせや、商品企画のアイデア発散など、連続性を求められる仕事を中断するのは大きな損失(コスト)だということを忘れてはいけない。

20年前から私は「会議はF1レースのピットインだ」と表現している。ピットインの時間はわずかでも、その前後に大きなコストを支払っている。ピットに寄るために減速しなければならないし、レースに対する集中力もいったん落とさなければならない。

会議を招集する側は意識しないだろうが、たった30分、1時間でも、リアルで招集することは、それ自体が大きなコストなのだ。

報告会議の効果は「1人あたりの報告内容伝達率」で推し量れる。会議の中で報告される事柄が、参加者全員にどこまで伝わっているか。会議後にテストしてみれば判明するはずだ。

私は実際に、複数の会社で出口調査をしたことがある。ほぼすべての参加者が、会議で報告されたことを50%以上覚えていなかった。

「覚えていないが、配られた会議資料を見れば思い出せる」、こう言われることもあった。それなら会議に参加せず資料だけもらえばいいではないか。

しかも報告会議に参加したら、「別の会議で言われた内容とほぼ同じだった」ということもある。重複する内容ならムダでしかない。

このような報告会議に参加しても、なんとも思わない人はマジメにレースを走っていないドライバーと同じだ。限られた時間しかないのに、イチイチ寄り道を強要されたら苛立つのが普通の感覚であるのに。

意識の高い若者が、このような「ムダ」な会議に参加させられたあげく、定時になったら「早く帰れよ」「残業されると、上司の私が叱られる」と言われ続けたらどうか?

やる気がなくなるか、組織に迎合して無気力になっていくかのどちらかだ。

意味があるのに「ムダ」と勘違い

反対に、意味があるのに「ムダ」と勘違いされているコミュニケーションも存在する。

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