巨大組織を必要とする20世紀型の生産技術と日本社会の親和性が高かったため、「蛸壺経済体制」が日本に確立されたことを、これまで述べてきた。
これは、江戸時代の藩体制の復活であると考えることもできる。明治維新で幕藩体制が崩壊し、人々は藩という狭い世界から解放されて、活動範囲が日本全体に広がった。それによって、可能性が大きく拡大した。『坂の上の雲』に描かれた明治日本の活力は、それを基本的な原動力としたものだった。そして、経済面では自由主義経済体制が実現した。
しかし、戦時体制で、それが否定されたのである。そのまま現在に至るまで続いている。
蛸壺経済の性格は、まず雇用・労働面に明確に表われている。
それは、年功序列・終身雇用を中心とする「日本型雇用形態」と呼ばれる仕組みだ。これも、40年体制の中で確立されたものである。戦前の日本では技能労働者が会社を転々と移る傾向があり、それが生産性向上の障害になると考えられていた。戦時経済が要求する生産性向上のため、労働者を1企業につなぎとめることが必要と考えられ、さまざまなインセンティブが導入されたのである。その体制が戦後の日本にそのまま残された。そして、高度成長を実現する上で重要な働きを果たした(拙著『1940年体制 増補版』、東洋経済新報社、2010年を参照)。
その後の日本経済の変貌の中で、日本型雇用も大きく変貌した。とりわけ、長期にわたる雇用を保証するという意味での終身雇用は、崩壊した。しかし、日本型雇用の本質的な部分は、いまだに残存している。
内部で昇進して経営者になる
その第一は、企業間の流動性が限定的なことだ。厚生労働省「雇用動向調査」によれば、入職率(新たに就職した率)が高いのは20~29歳の階層だけである。そして、離職率が高いのは60歳以上だけである。途中年齢での入職率・離職率は極めて低い。そして、この傾向に趨勢的な変化は見られない。